金沢句会の思い出。
泊康夫先生がいらしたころ、披講が始まると、
名乗りは(泊)「康夫」、(山)「信夫」、(石黒)「哲夫」……
この連続でした。
新人の私は、ただただ圧倒されておりました。
ある時のこと、
「熟年の恋」の句が読み上げられました。
たしか、大壺に花を活けて人を待つ、という内容だったと思います。
とにかく、中七が「熟年の恋」でした。
異色作には違いありません。
その句が読み上げられたとき、雛壇中央から
「康夫」という名乗りがあり、会場は、
「おお」とどよめいたのでした。
選評で語られたのは、そこは行きつけのバーかどこかで、
入口にお花が活けてあったのを詠まれたようです。
説明を聞きながら、一同は興味津々、
果たして本当に「恋」はあったのか、なかったのか……
得意になっている泊先生を横目に、青木さんは小声で、
「熟年?老年やろ、老年」
と小馬鹿にしたように言い、私は、思わず笑ってしまいました。
そうなると、泊先生は、何を言っていたか分からなくても、
何か悪いことを言われていることは分かるわけで、
「青木君、青木君、次、読んで」
と高飛車に言い放ち、
青木さんは泡を食ったように立ち上がって、指示に従ったのでした。
さすが、北陸中央病院院長と総婦長。
力関係を見た思いでした。
泊先生は、こうして時々、仕事モードになっていましたね。
泊先生は、最後は胃癌で天に召されましたが、
その最期の姿を、青木さんは模倣していらしたようにも思います。
自分自身で、段取りを整えて、悲しいほど完璧な御最期でした。
とにかく今は、地上の疲れを癒して安んじて欲しいと
願うばかりです。