朴落葉少しの風に遠く飛ぶ 細見綾子
『細見綾子全句集』(沢木太郎編)を読了しました。
細見綾子は有名な俳人ですので、知っている句も多いのですが、
時系列に全句集を読むことは、大変貴重な経験となりました。
そのことで分かってきたこともあります。
さらりと詠まれた俳句の言葉一つ一つを繊細に選んでいたことや、
俳句の配列に気を配っていたことなど、
日本語との対峙の仕方が半端ではありませんでした。
夫・沢木欣一は、『昭和俳句の青春』のなかで、綾子について書いています。
綾子は、日本女子大学を卒業してすぐに、東大医学部の太田庄一と結婚。
しかし、二年後、夫は病没。丹波へ帰りますが、すぐに母親も他界。
綾子自身も肋膜炎を罹患します。
その療養中、医師の勧めで俳句を始め、松瀬青々に師事しました。
欣一は、綾子がこのような経緯で俳句を始めたことを知り、
これが俳句の出発点なら、この人は一筋縄ではいかない。
また、『桃は八重』について、
だいたい、なんで「桃は八重」なんだ。普通「八重の桃」だろう。
というようなことを書いています。
この度、細見綾子全句集を読み、私も感じたところがありました。
それは、上記の俳句、第九句集『虹立つ』に収録されている一句です。
平成6年4月出版。80歳より83歳までの324句が収録されていますが、
その間、綾子は大病を得て入院しています。
しかし、詞書に「入院」「退院」となければわからないほど、
綾子は変わらぬ感性で、生き生きとした俳句を詠み上げています。
年齢も年齢ですし、泣き言のひとつもありそうですが、それもなく、自虐的なところもまったくなく、自然の感動を詠み上げていました。
日々できなくなることが増えていたことでしょう。
しかし、綾子は地面を見て生きるのではなく、
星を見上げて生きていたのだと思いました。
なんで「遠く飛ぶ」なんだ……
こう問いながら、この章を読んでいました。
あの大きな朴の葉を、「散る」ともいわず、
朴落葉が「飛ばさるる」ともいわず、
「遠く飛ぶ」しかも、「少しの風に」です。
しみじみとした感慨を微塵も見せず、
ましてや感傷もさらさらなく、
あの大きな朴の落葉を、「飛ぶ」と言い切った積極性に、
私は、ただただ圧倒されました。
あの小さな体のどこに、これだけのエネルギーがあったのでしょう。
最後まで瑞々しい俳句を詠み続けた「細見綾子」という俳人に
心底、魅了された思いでした。
人は、感傷的な事象に共感するものですが、
魅力に思うのは、積極性です。
人が人に惚れ込むのは、「逞しさ」だと思い起こしました。
これは事実だと思います。