呼吸のように・・・

俳句のエッセー

鶏頭

  鶏頭を三尺離れもの思ふ   細見 綾子

大変有名な一句、細見綾子先生の代表的な俳句です。
写生句を謳う「風」俳句において、‟難しい”と思う俳句であるかもしれません。
これは、写生句なのか、
そもそも、こんな俳句があっていいのか、
初心者の私は、そう思ったものです。
細見先生ならば許されるけれども、私たちは許されない手法、
そのように理解をし、また、話したりもしていました。
しかし、考えてみるに、
「写生とは何か」ということに尽きるでしょう。
写生とは、ただ、風景を写し取るだけのことに留まりません。
そこに心情を感じさせる何か、が、無くてはならないのです。
ちょうど、写真家や画家の作品に言葉がなくても、
胸に迫る「何か」があるように、です。
では、掲句には、逆に、そのような景色が写されていないではないか、
これは、心情をそのままむき出しにしたもので、
写生ではない、と考えます。しかし、
俳句は、絵画や写真ではありません。
ことばの芸術です。
つまり、ことばで表現する芸術では、
このような写生も可能だということではないでしょうか。
鶏頭を三尺離れて、しかし、何を考えていたのかは書かれていません。
これは、「もの思ふ」姿を写し出したものであって、
決して、主観的な感情を言い表した抒情句ではないのです。
「もの思ふ」この、俳句として許される
ぎりぎりの表現に成功した秀句と考えます。
十七音の俳句では、芸術的表現を盛り込むのは難しく、ほとんど不可能です。
しかし、定型詩だからこその工夫がなされ、
そこに傑作が誕生する、それが俳句の真髄でしょう。
限界があったからこそ、規制があったからこそ成し遂げられた境地は、
どの世界にもあります。
不可能を可能にする力は、誰にでも、どこにでも備えられている、
過言ではないでしょう。