コロナウイルスのために、礼拝に集うことができません。
多くの教会でも同じだと思いますが、
礼拝は行われていますが、信徒は集うことを禁止されています。
環境が許さずに、礼拝に集うことができないことは、
歴史的に見ても、珍しいことには違いありません。
ですが、現代は、インターネットという便利なものがあり、
各々が別の場所にあって、同じ時刻に、礼拝の中継をみることができます。
教会によっては、オンライン礼拝の心得らしきものを作成しているようです。
たとえば、心身を整えて、10分前にはPC画面の前に坐り、準備しましょう
と言った感じです。
ともすると、観客になってしまう私たちを戒めてくれています。
いいことではないでしょうか。
確かに、礼拝に集えないのは試練だと思います。
が、便利なインターネットによって、離れていても礼拝することができます。
これは、恵みです。
10年ほど前には、不可能だったはずです。
各々、時間を決めて、祈り合うのが精一杯でした。
それが悪いと言っているのではありませんが、
今は、離れていても、同じ経験をすることができます。
素晴らしいことだと思いませんか。
オンラインの対談も行われています。
普段なら考えられなかった企画も、実施されようとしています。
万事を益として働く主は、
困難なときにあっても、いきいきとした救いの手を伸ばされています。
「私の許へ来なさい。」
そして、豊かな恵みをくださると思いました。
この世は、これまでの膿を出し、よどみを洗い流し、
新しく生まれ変わろうとしています。
まったく新しい社会になると思います。
主がお造りくださると信じます。
人は、日々、御言葉によって新しくなるように、
十字架によって、劇的に変えられたように、
この難局も、主にあって逆説的に救われると思います。
主の愛を信じます。
全能の主を信じます。
神様、私たちを守り、導いてください。