沢木欣一先生、最後の句集は、
『綾子の手』
第12句集です。
句集のタイトルは、ご自身がお決めになったのではなくて、
綾子先生の入院中に連作を依頼された、
その指定されたタイトルだったそうです。
結局、この句集は、追悼句集となりました。
綾子先生を送られて、その後、丹波、金沢と訪ね、
先々で思い出を重ねて、俳句にされています。
そして、その最後の一句は
羽子板市西東三鬼少女連れ
三鬼の句で終わっています。
その前の句は、
開戦や霰たばしる香林坊
その前の一句は、
秀才で葛湯の好きな中学生
ご自身の写生でしょうか。あるいは
原子公平、そのほかのご友人でしょうか。
60年前のご自分を、今の景色に見ているようです。
こちらの句は、平成10年作。
平成12年8月10日『綾子の手』発行
そして、
平成13年(2001)11月5日、永眠されました。
綾子先生や三鬼さんが、お迎えに来られたかもしれません。
人の最期は、どのようなものでしょうか。
その時まで、健康な精神を保つことができるでしょうか。
四高に学び、日本は戦争に敗れ、復員。
昭和21年5月1日、「風」誌を創刊しました。
文学に飢えていた若者が、つぎつぎと参加します。
「自ら作って来た伝統を踏まえ、新しい歩みを印したいものです。」
このように記し、句集を閉じています。
生まれれば、人は必ず死にます。
人生とは、時間とは、問は尽きませんが、
足跡もまた、永遠に残ります。
誰の記憶に残らないとしても、
それは豊かな、厚みのある時間だと、
それだけは言えるでしょう。
確かに存在した時間を、神はお忘れになることはありません。