妻連れて去年と同じ日記買ふ 柏 禎
何でもない一句です。
奥さまとご一緒に、日記を買いに行った、
それだけです。
仲睦まじいご夫婦で、引退なさったご主人とご一緒されているのでしょう。
実際、それはその通りだと思います。
掲句は、昭和52年の作。
そして、二年後の昭和54年春、奥さまは他界されました。
その事実をふまえると、重い一句だと分かります。
ご病気の奥さまの先は、ご存じだったでしょう。
そして、その奥さまとご一緒に、
昨年と同じ日記を買いました。
日記に思いがこもります。
私は、妻連れての「連れて」という言葉に目が留まりました。
連れてとは、私の母の晩年の姿に重なりました。
重い体をゆっくりと歩ませていた母は、
自身で積極的にどこへでも行きたいというのではなく、
私たちが気遣って、連れ出していました。
白梅に涙ぐむことおぼえけり
そして、
臨終か三分咲きなる花そこに
初七日のをはりをぬらす花の雨
淡々と書き連ねておられます。
沢木欣一先生の序文には、奥さまの事は触れられていません。
作者がお断りになったのでしょう。
そして、あとがきの最後にひとこと、
「この句集を妻の霊前に捧げる」
これだけ書かれていました。
悲しみの深さを思います。
人は、本当に悲しんだ時、無口になります。
禎先生も、触れられたくないほど、深い悲しみがあったのでしょう。
慰めの言葉によって、その悲しみを汚されたくない、
そのような姿は、私の父と重なりました。
俳句は、日記。
そして、深い思いをとどめます。
だから、難しい。
そう感じます。