呼吸のように・・・

俳句のエッセー

解説「ミサの鐘」

「雉」賞佳作「ミサの鐘」

コロナ禍の中で、吟行へ行く予定も断たれ、

途方に暮れたところに与えられた「ミサの鐘」。

本当に、天から降って来たように俳句が出来上がりました。

最後に行きついた所、そこは神様の許であったことを

私はとても嬉しく思います。

 

白百合の蕾あまたやミサの鐘

 数年前から、教会の門扉のところに白百合が咲いています。それ以前はなかったもので、すぐにピンときました。転入会されたYさんが植えられたのだと思いました。実際、そうでした。教会には白百合が良く似合います。日本原産の百合は、全世界に広がり、復活祭を始め、祝ぎごとには欠かせないお花です。神の招きを告げるミサの鐘に白百合の蕾がたくさんついていました。祝福そのものに思えました。

 丘の上にはカトリック教会があり、主日の10時に鐘が鳴ります。その鐘が大好きで、いつも表まで出て聞いています。丘の下のプロテスタント教会は、10時15分からの礼拝です。その私たちの教会には、鐘はありません。が、教会の鐘は、土地の文化です。皆、意識しないで聞き入り、多くの俳人が詠みあげています。

 この俳句は、題名になった一句ですので、メインの俳句です。最後に持ってこようかと悩みましたが、やはり摑みの一句目に据えようと決めました。

 

ロザリオにルルドの小石夏に入る

 ルルドの小石の嵌められた十字架のロザリオは、母が病になったとき、父の知り合いの方が贈ってくださったものです。ルルドとは、フランスの地名です。聖ベルナデッテに聖母マリアが現れ、言われた通り地を掘ると、泉が湧き出ました。その泉は奇跡の泉で万病を癒す効果があり、今も巡礼地として、聖地として知られています。病が癒えますように、どれだけ祈ったかわかりません。

 そして、ロザリオは、聖母マリアの祈りを繰り返し祈る時に用いるものです。コロナ禍において、ローマ教皇が「ロザリオの祈りを唱えるように」と世界中に求めていました。コロナ終焉の祈りにロザリオとルルドの小石。そして、季節は夏になります。コロナ禍における時間の経過を伝えています。

 

桐の咲き時疫の町の静まりぬ

 「桐咲いて」と「て」は用いずに、「桐の咲き」としました。「は」でも良かったかもしれません。今年の桐はきれいでした。たくさんの桐の花が、天に捧げられているかのように咲いていました。一方で、人々は行動を制限され、町は静まり返っていました。三句目にして、主題を伝えています。この俳句は、「コロナ禍」における物語なのだと。ルルドとロザリオが伏線になっています。

 

夏落葉深々溜り殉教地

 場面は変わって、殉教地を詠います。この辺りにも、キリスト者たちの殉教の地があります。夏落葉が溜り、足を踏み入れると柔らかに沈みます。時の経過を思いつつ、今もなお、多くの信徒たちがコロナで亡くなっていることに思いを馳せます。多くの聖職者たちも、コロナによって命を落としました。人が向ける刃によってではなく、このような病によって亡くなっていく人々もまた、殉教のようだと思いました。

 

十薬や右近の墓へ土の階

 右近は、戦国大名高山右近です。受洗名をユストといいます。右近は最期、フィリピンに流され、その地で命を落としました。その死を殉教と認められ、2018年列福されています。福者となりました。カトリックで「福者」とは、聖人に次ぐ聖なる存在になります。私はカトリック信徒ではなく、プロテスタントですので、調べながら書いていますが、間違っているところがあるかもしれません。詳しくは、お近くの神父様にお尋ねください。

 右近の墓と伝えられているところがあります。右近の孫が、遺骨の一部を持ち帰って埋めたという伝承の地ですが、事実かどうかは不明です。プロテスタントでは致しませんが、カトリックでは、聖人や福者など、死者にとりなしの祈りをお願いすると聞きました。私も右近の墓にて祈りを捧げようと、出掛けて行きました。右近の墓は、民家の裏手の山へ登って行かねばなりません。その土の階に差し掛かるところに、清楚な十薬が一叢咲いていました。十字の形の花に、これよりは聖地であると告げられたように思いました。

 

つづく