もう7年ほど前になるでしょうか。
恩師が亡くなりました。
奥様が痴呆で入院されてから、心のバランスを崩され、
生活にも不自由なことがあり、ある時、救急搬送されました。
その後、転院され、ご自宅近くに入院されていましたが、
ご本人には遠くだと伝えられていて、
外泊もできず、見舞いもほとんどない状態でした。
わたしが見舞うと、いつも「遠くから有難う」とおっしゃいました。
田舎のことですから、この方のことはすぐに知れてしまいましたが、
同居の息子さん夫婦と以前より折り合いが悪く、
仕方がないと言うだけで、手立てがありませんでした。
確かに難しい性格の方で、苦手だと言う方も多かったと思います。
ですが、親戚筋からさえ、見ていられないというほど、
哀れで、お気の毒な状態でした。
わたしは、6年近く病室へ通いましたが、最期は
「死にたい」と言って、それからすぐに肺炎になり、
6日後、あっけなく亡くなりました。
90歳を目前にしてのことでした。
わたしには、鈍い痛みを伴う記憶です。
老人が「死にたい」と言うことほど、辛いことはありません。
病室は、明るい個室でしたが、窓を背にしていて外は見えませんでした。
ただ、開け放たれたドアから、廊下の窓の外が見え、
田舎の山々が見え、風も通りました。
午後のお茶タイム、七夕やフラダンスの慰問、写真を拝見していました。
それでも、週一度、着替えを持ってくる息子さんに対し、
必ず「帰りたい」とおっしゃっていました。
寂しかったでしょうし、奥様のことも気になさっていました。
よく安否を私に尋ねておられました。
思い出すのも辛いことです。
わたしは、このようなことが二度とおきないように
ただ、ただ、願っているだけです。