呼吸のように・・・

俳句のエッセー

病院のチャプレン

日本では、病院のチャプレンという存在は、
ほとんど知られていないと思います。
私が最期の時を迎えたなら、また、
重病で心が沈んでいたなら、
チャプレンに来ていただき、
共に祈っていただきたいと願います。
病室での時間は、長く感じます。
眠れるときは良いのですが、
痛みやだるさなど、眠れないときは、とても辛いでしょう。
父の最期の時、もう死を宣告されていて、
この入院が最後になるというのに、
父は眠れないという苦しみを負っていました。
ずっと眠っているので、眠れないのでしょう。
夜中に何度も目を覚まし、
「まだ、こんな時間か」と、残念そうにしていました。
死にゆく人が、眠れないと言う事実を哀れに思いました。
そんな時、チャプレンに来ていただいて、
話を伺い、出来れば心の内を話し、
祈っていただくことは、心の平安に有効な手段だと思います。
自分の教会の牧師というのではなく、
最期の時のために、よく訓練されたチャプレンにきていただきたい
そう願います。
教会の牧師も、若い方もあるわけです。
先日、30年選手のわが牧師も、ある病者に
祈りの途中で怒鳴りつけられたそうです。
「命が長らえますように」という
普通の祈りだったようですが、
「この歳になって、まだ生き延びてどうするのだ」
と、カッとなったと言っておられました。
その後、牧師には謝ったそうですが、老いに向き合うとはただ事ではありません。
よくよく訓練された何かが必要なのでしょう。
分かるように思います。
私なら、なんと祈っていいか分かりませんから。
若い方のご病気の場合も、心理状態はまるで違うでしょうから、
病院のチャプレンという、特別な牧者が必要なのだと思います。
この場合も、何と祈ればいいか、言葉が見つかりません。
祈りとは、つたなくとも心が伝わりますから、
その人となりが、すべて分かってしまうと言っても過言ではありません。
だからこそ必要な、病院のチャプレン。
日本にも一般的になればいいと思います。
また、終末を過ごす施設などに来ていただけたら嬉しいと思います。
キリスト教の施設も望まれています。