呼吸のように・・・

俳句のエッセー

俳句検索 珈音 カノン

俳句検索システムが完成しました。

この度、「オンライン俳句図書館」にお目見えしましたので、

皆様、どうぞごひいきにお願い申し上げます。

 

「珈音 カノン」という名前です。

 

いろいろ意見を聞いて回っていたときに、

ネーミングは大事、という話を伺いまして、

システムにも名前があった方が覚えやすいかと思い、

珈音(カノン)とつけました。

意味は、

「十七音の旋律を増し加えていく、俳句検索の王道」

です。

珈音は、大変、お利口です。

季語の検索も、主季語、副季語を使ったすべての俳句を表示してくれます。

こちらは、裏方は大変です。

主季語、副季語を入力していくので、本当に大変です。

季語がどれかは分かっても、主季語かどうかなんて

いちいち覚えていられません。

しかし、良いものを生み出すには、手間を惜しんではならないのです。

人知れず、努力しています。

こういう時、AIで、瞬時に判断し、振り分けしてくれるのでは?

という方が少なからずいらっしゃいます。

が、そのAIは、どこから来るのでしょうか。

そんな便利なAIは、タダではなくて、高価なものなのです。

ということで、珈音ちゃんのブレーンは私なので、

手間暇かけて動かしています。

皆様に可愛がっていただけるように、

一生懸命の珈音ちゃんと仲良くしてくださいね。

宜しくお願いします。

 

www.haiku-sen.com

 

お好きなように

コロナが始まり、これで一年余りですが、

句会も通信句会となって、同じだけ時が過ぎました。

オール句会というメールでの句会が始まり、

私は、15回担当しましたが、今月から担当が変更になります。

引き継ぎのため、連絡を取り合っていますが、

メールに関することが、最も面倒だということが

お分かりいただいたようです。

また、句会報の在り方についても意見が分かれ、

これまでの経緯をお話ししました。

あれもこれも便宜を図ったり、

人のいうことを聞いていると、

ひと手間もふた手間もかかるわけでして、

不満も募るというものです。

余計なストレスはないに越したことはないので、

「お好きなようになさってください」

と、お願いしておきました。

なにせ、今度の担当者はベテラン中のベテランですから、

投句者も緊張感があって、良いのではないかと思います。

やれやれ、ちょっと楽になりました。

しばらく、楽させてもらいます。

 

紫陽花

今年の紫陽花は、大変きれいです。

お花も大きいですし、たくさん咲いてくれています。

今年の冬は、大雪で、雪折れも多く心配していました。

が、結果、最良でした。

紫陽花は、母が好きだったお花のひとつです。

良く根が着くので、何処からでもいただいてきて、

庭に挿し木していました。

紫陽花は、たくさんの種類があることを知り、

集めてみたいと考えるようになりました。

遺伝でしょうか。

かつては、かたつむりがたくさんいましたが、

近頃は見かけなくなりました。

かたつむりは、雌雄同体ですから、一匹でも増えます。

盛り土をして、いなくなったのかもしれません。

特に意味はありませんが、

紫陽花にはかたつむりが似合うと思いまして、

思い出しました。

明日は、また、雨でしょうか。

紫陽花は、お水をたくさん吸いますので、

雨は有難いです。

やはり、梅雨に紫陽花は美しいのです。

試練にあって

試練の時の讃美歌。

 

こころみの世にあれど 導きの光りなる

主をあおぎ、雨の夜も

たからかにほめうたわん

 

まことなる御言葉よ 迷えるを引き返し

めぐみもて子よと呼び

わがうちに住みたもう

 

富も名もなにかあらん わがうちの宮にます

あがないの主イエスこそ

まさりたる宝なれ

 

世のちから迫れども 死に勝ちし主によれば

やすらけき喜びは

わが胸に満ちあふる

 

これは、アイルランドで生まれた讃美歌であり、

スコットランドで愛唱されたと聞きました。

アイルランドは、英国最初の植民地です。

それを思うと、この歌の信仰が、

より深く理解することができるでしょう。

こちらは日本語ですが、それほどかけ離れた歌詞になってはいないと思います。

判りませんが、日本語には日本語の力があります。

原語の信仰を熟成させた言葉が、

ここに表されていると思います。

昼間から、雷が鳴っていました。

が、まったく雨の気配がなく、

日差しも来ていましたが、いよいよ降り出しました。

夜になり、大音響であたりを叩き通した雨。

今、静かになりました。

近頃、ちょっと不調。

言葉が出てきません。

そんな時は、無理に書かずに、言葉が降りて来るのを待ちます。

ぼんやり遊んでいるように見えるでしょうが、

そうではありません。

その分、言葉が来れば、一気に書き上げられることを知っています。

時を待ちます。

言葉は与えられるもの。

しかし、獲得するものでもあります。

私たちは、言葉で考え、言葉で感じます。

言葉で言い尽くせないこともありますが、

言葉が至らなければ、それだけ受け止め方、感じ方も

「至らない」レベルだということは否めません。

語彙を増やしていくことも大切です。