近頃は、ブログなど意見を述べることができ、
手軽に発信できるわけですが、
思いの外大きな反響があった場合は、驚くほかありません。
これが「洗礼」というものかどうか分かりませんが、
ひよっこ感覚の私は、ちょっと驚きました。
しかし、これで覚悟が決まりまして、
どんなささいな事でも発信する以上は、
それらすべてを受け入れようと、そう思ったわけです。
ある投稿で、恩師の事を語っておられたのですが、
その方は、すでに故人で、その方を改めて尊敬すると
思い出を書いていらした内容でした。
その最後に、「故人を慕って書いているのだから、
マウンティングはやめてね」というような内容の事が
書かれてあり、大いに共感した次第です。
また、同じ方の投稿ですが、
文章を書いて世に出すということは、
自分を曝して賛否を問うものだと、書かれていました。
多くの作家、先人達を指して、
その意味で、後世の我々に対しての良き指導者だと、
そのようなことも書かれていました。
私は、これをお読みして、
とても感動し、また救われる思いでした。
そして、覚悟を決めるに至ったわけです。
私は、物書きになりたいと幼いころから、
心のどこかで思っていました。
表現することをしたかったのだと思います。
いまは、それが俳句であり、或は、それにまつわる
エッセイや論文(までいかないけれども)、鑑賞といったことになりますか。
今は、まだ、勝手に書いているだけですが、
真面目に自分の限界に挑んでみようかと考えています。
分野は何でもよろしい。
俳句でも歴史でも、そして宗教でも良いと考えています。
ただ、文章を曝して、批評を受け止めて生きる、
そのような生きざまを身に着けたいと思いました。
あまり知られていませんが、高く昇れば上るほど、
批判も大きくなってゆきます。しかし、それはどうしようもありません。
今の時代、理不尽な批判も受けるでしょうが、
すべて想定内と受け止めて、自分を曝して、成長したい。
そのように生きていきたいと願います。