呼吸のように・・・

俳句のエッセー

島村哉哉(しまむら さいさい)

  雲仙万緑かくやすやすと来てしまう
  桜鯛くう雲仙のいただきに
  地獄湯に指さし入るゝ夏寒し

島村哉哉(さいさい)こと、島村鶴亀(きかく)先生。
日本基督教団牧師。
『信仰歳時記』(教文館 昭和46年)より。

大変有名な牧師であられ、また、信徒の中には、
多くの俳句の弟子があったと聞き及んでいます。
上記は、その哉哉先生の俳句です。
自註には、このように書かれています。

 昭和34年、九州教区総会議長本田清一牧師に招かれて、
総会に出席したときの句である。
 活水女学校長橋本重郎先生のご好意で、雲仙に向かった。
殉教者たちが地獄湯の中に首までつけられて苦しんで死んだという、
その雲仙獄の地獄湯に指をさし入れてみた。
熱くて身ぶるいした。
自分ならどうするだろう、ずらかって逃げ出してしまうかもしれない、
殉教ということの恐ろしさをひしひしと感じた。
 ひと思いに殺されるなら、目をつぶって熱湯の中に飛び込みもしようが、
この中へ首まで漬けられて、ジリジリと一寸だめしにやられては、
たまったものではない。
 旅館へ帰り着いたら、美しい桜鯛が一尾膳にでていた。
殉教者たちが地獄湯に入れられて殺されてしまった、それを見物してから、
旅館へ帰って桜鯛を食っている牧師。
なんというざまだ!
 桜鯛を見るたびに、わたしはこの句を思い出すのである。

また、哉哉先生は、この本の中に、俳号についても書いておられます。

 哉々とは絶対に書かない。必ず哉哉と書く。
 俳句の下の字は、……哉、となっている。
それで俳句は、哉哉哉哉だと思った。それではあまり長いので、哉哉とした。
 さて何と読むか?
「さいさい」と読むことにした。
私の伯父が、「やーやー」と読んだのには驚いた。
ある人は「かなかな」、また別の人は、「かなりや」とも読んだ。
 なぜ「さいさい」と読むかと、よく問われる。
「さいさい悪いことをするからです」と答えると、だれも笑ってそれからは問わない。
口の悪いのがいて、いや、あれは「さいさいではなくて、愛妻だ」と言う。
ほめたのか、くさしたのか、わからない。

実に面白そうな牧師です。
これから、この本を読み進めます。
期待に胸がふくらんでいます。