これが「国葬」かと、思い知った感がありましたが、
それ以上に、英国の伝統、誇りを知らされた思いです。
英国女王の葬儀、それは何者にも比較されない見事なものでした。
キリスト教的だったことが、日本人になじみがなく、
新鮮だったとか、違和感があったとか、
囁かれてもいましたが、私はキリスト者ですので、
そのような受け取り方はありませんでした。
ただ、美しかったですし、英国の歴史を思いつつ、
讃美歌や聖書箇所に聞き入っておりました。
何より、女王、国王も神の前では頭を垂れる存在として、
葬儀の座に列しておられたのが印象に残りました。
それは、その通りです。
エリザベス女王も、神から与えられた人生を生き抜きました。
どんな立場の人であっても、同じように神様から頂いた人生です。
その意味で平等であり、女王はその使命を全うしました。
自身の葬儀に至るまで、イギリス女王としてなすべきことを成し終えて、
虹の彼方へ召されたのでしょう。
それが明確に表れており、深く心に残りました。
一方、日本の国葬を思った方も少なくないようで、
少々、困ったタイミングになったのではないかと
感じた方があったようです。
しかし、比較する方がおかしいのではないでしょうか。
日本は日本、安倍晋三元首相、それはそれ。
戦後と言われてきた日本で、ようやく戦後色を脱し、
日本の国益を考え、しかも素直に表現された最初の首相、
それが安倍晋三氏ではなかったかと、私は考えています。
詳しくありませんので、これ以上の発言は致しませんが、
今の私の考えるところは、このようです。
とても意義のある働きをされたのではないかと、
歴史に名を刻んでいただく意味において、
国葬は賛成!と言っています。
聖書に「隣人を自分のように愛せよ」とありますが、
滅私奉公的な価値観が強い日本において、
自分を大事にするのだ、という意識を芽生えさせた首相ではなかったかと
そのように考えています。
他人をないがしろにするのではなく、
人にとって、或はもっとも難しい自身を愛するということを基本に、
同じように他者を思いやるのだという姿勢を打ちだした、
そのような方だったと思っています。
つたない私の印象です。お聞き流しください。
ただ、○○ファーストという言葉は、間違っては困るので、
私は、上記の聖書の意味で受け止めています。
自分を大切にできない人は、他人を大切には出来ないのではないでしょうか。
安倍晋三氏によって、日本は日本人としての誇りを取り戻す
大きな一歩となったのではないか、そう思います。
国葬は出来る範囲でなさったらよろしいでしょう。
大切なのは、「国葬」にした思いであり、
安倍晋三という政治家への敬意だと、
勝手に思っている次第です。