呼吸のように・・・

俳句のエッセー

解説「ミサの鐘」3

医院出て未央柳に佇める

 場面は変わり、病院の前です。具合の悪い人が身近にいるのでしょうか。あるいは本人でしょうか。

 実際は、私自身のことでした。大したことではありませんが、クリニックへ定期健診に通っていて、コロナ禍にも受診しました。同じ教会の信徒の先生ですが、いつもは雑談をしたり、質問に応じてくださったりするのですが、このときは、最小限のことだけで、早々に帰されました。マスクは手に入らず、「サーズのときに買ってあった」というマスクを引っ張り出しての診察。シールドの奥に優しい目をしてみせる先生に、むしろ緊張してクリニックを出ました。他の病院も施設も、基本的に面会はできなくなっていました。

 クリニックを出ると、目の前に未央柳、まばゆい黄色が目に入ります。入る時は気付かなかった花々に目を止めるのは、診察を終えた安堵感からでしょう。しばし未央柳を見つめて佇みます。コロナ禍での、色々な方の顔が浮かびました。

 

海を見に人を避けゆく青田道

 「青田風」あるいは、「かな」にすれば良かったと悔いています。芸のない季語、そのままでした。「海見んと」でもいいと思いましたが、沢木欣一先生に「海見んと父のぼりゆく林檎山」という句があり、使いませんでした。また、「海見んと」という強い意志ではなく、心に癒しを求めて消去法での選択でしたので、「海を見に」と、柔らかくしてみました。人を避けて行く心理は二つ。一つはコロナ下での接触を避けるため。もう一つは、人に会いたくないという気弱な心理です。

 

五月波砂を渫ふて透き通り

 それなりに推敲を重ねた表現です。誰もが遠出を許されず、ひっそりと過ごす中で、世間は得体のしれない流行病に侵されているというのに、波はなんとも透き通り、引く波が渫う砂の動きさえも目に明らかでした。海は全体をみれば鈍い青色ですが、近くを見れば「水」にすぎません。透明な水を飽きずに眺めていました。

 

鈍色の空のちかぢか合歓の花

 合歓の花も、今年は殊にきれいでした。どんよりとした空模様に合歓の明るい色が映えます。「近くに」としていましたが、「ちかぢか」としました。あとで、田島主宰の句に「ちかぢか」という表現があり、焦りましたが、師匠ですのでお許しいただけると思います。主宰の句は時間的な距離に、私は物理的な距離に使っています。

 

夏空へ翼を張つて鳶昇る

 「翼を広げ」としていましたが、平凡で納得できませんでした。日本語には「翼を張る」という言葉があることに気付き、「翼を張つて」昇らせました。鳶が、まるで鷹や鷲のようではありませんか。段々と小さくなる鳶を仰ぎ、吉兆だと感じました。

 

夜半の夏拾ひ読みせる聖書かな

 なにも「聖書かな」と「かな」を持って来なくても良かったのですが、つまりは表現力が追い付いていないということです。祈りに落ちつかない心理を伝えています。通読に一応の予定もありますが、つい、あちらへとび、こちらへとびして読んでしまいます。良い子は真似をしないように……

 場面は変わります。就寝前の祈りの姿を思ってください。自然詠から、自然の逞しさと美しさ、人の世に反比例した勢いを伝えました。また、どうにもできない時間の経過も感じ取っていただけたらいいと、前の三句を並べています。そして、続く信仰生活の写生は、時間の経過を心理的な動きで表現しようとしています。大切なクライマックスへの場面ですが、確かに盛り上がりに欠けて見えるかもしれません。コロナ禍でのマイナス場面を盛りこめば違ったかもしれません。礼拝に集えなかった生活。自宅で過ごす生活も分かれば、ここからのシーンの印象が強くなったかもしれません。編集に課題を残しています。

 

つづく