俳句をしていて、一番むなしくなるのは、
推敲して、推敲して、上手くできなかったときではないかと思う。
いわゆる勉強といわれている内容は、
本をがつがつ読んだり、獺祭状態でがんがん書いたり、
文字を積み重ねていく充実感があるのだが、俳句の推敲は、
うんうん唸って、同じ句をにらんで、
歳時記を開いては考え、また歳時記を開いては睨み、
その繰り返しで、形がまるで残らない。
それで、思った句にならなければ、
一日、何をしていたんだろうか…と虚しくなるのである。
俳句の推敲は、また、睡魔との戦いでもある。
目を瞑って、景色を思い出してみるが、
やがて場面は夢の中に移る。
よく、夢の中で「いい句ができた!」と飛び起きる方があるようだが、
見返すと、まず、よく分からない句であることが多い。
夢は夢、である。
今月は「晨」もあり、いつもの「雉」もあり、
来月は、若手作家近詠8句もある。
私、大恥をかくのではなかろうか。
不安で夜も眠れない。が、推敲中はよく眠れる。
世の中、思った通りに行かないのが常、ということか。