日曜日は主の日。
連休中とあって、朝の礼拝に出席なさらなかった方も多かった半面、
旅行中の方や、遠方から久々にお見えになった方も多くありました。
改革長老教会の交換講壇でしたので、
今日の説教は、高岡教会、風間宣夫牧師でした。
有名な「わたしは葡萄の木」(ヨハネ福音書)でした。
「友のために命を捨てる、それ以上の愛はない」
主イエスは、おっしゃいました。
私たちは、命あっての物種ですので、
命を捨てることは愚かなことと考えます。
しかし、主イエスは、命を捨ててくださいました。
神の子だから簡単なことだった、わけではありません。
血の汗を滴らせ、祈られたのです。
「できることなら、この杯をわたしから取り除けてください」
十字架の死は嫌だと、おっしゃったのです。
主イエスも私たちと同じでした。
同じ肉体、同じ命を持っていらしたのです。
そして、その命を、お捨てになりました。
私たちを罪から救うために…
私たちは、そこまでできません。
どこかで、自分の理想に敗れていきます。
だからこそ、主のとてつもない愛が分かります。
主の愛は、深く広く大きく、私たちには理解できない、
と、分かるのです。
神は愛です。
細かなことは知らなくても、
この私の救いのために、命をお捨てになった愛の方だと知るのです。
神に頼って生きることは、愛を受けて生きることです。
拒む理由は、一つもありません…