今日は主の日。
残念ながら、礼拝出席者は少なめでした。
コロナのためです。仕方がありません。
さて、今日の讃美歌の中で、
讃美歌21 513番(讃美歌第二編では332番)
現代語の歌詞に直されているものです。
讃美歌第二編の文語調に慣れているので、どうも違和感を抱いてしまいます。
332番(讃美歌第二編)
1 主はいのちをあたえませり 主は血潮をながしませり
その死によりてぞわれは生きぬ われ何をなして主にむくいし
2 主は御父のもとをはなれ わびしき世に住みたまえり
かくもわがためにさかえをすつ われは主のためになにをすてし
3 主はゆるしといつくしみと すくいをもてくだりませり
ゆたけきたまもの身にぞあまる ただ身とたまとを献(ささ)げまつらん
513番(讃美歌21)
1 主は命を惜しまず捨て その身を裂き血を流した
この犠牲こそが人を生かす その主に私はどう応えよう
2 主は父なる神を離れ 暗くさびしい世に来られた
栄も位(くらい)も すべて捨てた
主のため私は 何を捨てよう
3 主はゆるしといつくしみと とわの命もたらされた
限りなく深い わが主の愛 その主に私はどう応えよう
そこで、私が歌詞を付けてみました。
言葉の切れを重んじて、一部の旧仮名遣いはまぬかれませんでした。
こちらです。
1 主は命を与えるため 主は十字架に その身を打たれ
主イエスの死により われは生きる
その死にむくいて何を献ぐ
2 主は父なる神を離れ わびしき世に身を置かれた
誉も栄もすべて捨てし 主のために何を捨て去るべき
3 主はゆるしと いつくしみと すくいを世にもたらされた
限りなき愛はこの身に満ち この身とたましい献(ささ)げて生きる
いかがでしょうか?
このくらいの日本語であれば、子どもたちも理解できると思うのですが。
日本語は、主語がなくても文章が成り立ちます。
その点で、英語とは違っています。
主語が省略された場合、多くが、主語=私となります。
また、主語から始められる文章にすると、詩的な韻文になりにくいことがあります。
その場合、倒置法が役に立ちます。
それらを踏まえて、後は、省略省略で仕上げます。
自己満足の世界ですが、それでもかまいません。
会心の出来?!
Thanks!