主イエスが、弟子たちの足を洗った日。
この日は最後の晩餐の日で、
翌朝、十字架に架けられます。
その最後の晩餐をおぼえ、教会では、
パンと葡萄酒をいただく、聖餐礼拝が行われました。
明日、イエス様は十字架で亡くなってしまうのですが、
晩餐の席では、そのようなことは知る由もありませんでした。
イエス様の教えをいつも通りに聞き、
パンをいただき、葡萄酒をいただきました。
ただ、弟子たちの足を洗ってくださったことは、特別な事でした。
召使の仕事をなさるイエス様を不思議に見つめる弟子たちは、
私たちの姿でもあります。
主は、なぜ、私の足を洗ってくださったのでしょうか。
主イエスに洗っていただいた足は、気持ちよくて
あたたかに感じました。弟子たちは、幸せだったと思います。
しかし、その後、
役人に捕らえらてれて、高官の許へつれていかれました。
そのまま、主は、お戻りになることなく、
十字架上で亡くなります。
今日は、主イエスの最期の日です。
主よ。
貧しい私は、いつも祈りました。
私を殺さないでください。死なせないでください、
そう祈りました。
そして、主はその願いを叶え、
永遠の命までもくださいました。
主の命に替えて、私の命は繋がれました。
そんなつもりで祈っていたわけではありません。
私は、ただ、辛いことや悲しいことに出会ったとき、
主に嘆いていただけでした。
しかし、主は、その嘆きを聞き、
身代わりに極刑に架けられました。
私の身代わりでした。
この身代わりは、一見、不思議に思いますが、
最も大切なものをくださる、最善の策でした。
主が、なぜ死ななければならなかったのか
その意味すら、十分に理解できない私ですが、
主の愛は、分かります。
愛されていることを実感します。
主に洗っていただいた足は、今も温かです。
この記憶を、私の命がつづくかぎり心に留め、
主に倣った歩みができますことを、祈り願います。