呼吸のように・・・

俳句のエッセー

洗足

今日は、イエス様が弟子たちの足を洗って下さった日です。

最後の晩餐の日。

この後、ゲッセマネの園にて、イエス様は捕らえられます。

一晩、裁判を受けたあと、明日、十字架へ向かわれるのです。

エス様にとって、今日は人生最後の夜です。

次の日曜日は、復活の日イースターです。

しかし、COVID-19感染予防のため、教会の礼拝は、

その他の一切の行事は、一か月休止と連絡が入りました。

今日の「洗足祈祷」はなし、明日の「受難日祈祷」もなし。

イースターもありません。

受洗者があると聞いていますから、

信徒を入れず、礼拝は行われるようです。

その場合、生中継をされるとかいう話ではありますが、

インターネット環境が整っていない方は、少なくありません。

戦争を経験なさった信徒の方は、軽々に戦争に譬えてほしくない、

次元が違うと仰っていましたが、人生90年の内で、

礼拝が中止されるとは、受け入れ難い事実だとも仰っていました。

その中で、私たちはインターネットを利用し、

たくさんの礼拝やミサや、キリストのメッセージを受け取ることができます。

一緒に歌ったり、御言葉を聞いたりして、祈りを捧げるとき、

私は、一人ではないんだ、と実感します。

孤独ではないんだと、不思議に胸があたたかになります。

不安に思う私の心の底を見抜いて、イエス様は、

私を決して見捨てないと語りかけてくださいます。

だから、

私はマリアのようにすがって泣いて、

そして、元気に走り出すことができます。

主イエスは、私たちの傍にいらっしゃいます。

私たちは見捨てられていません。

私たちは、神様の大切な子どもなのです。

と叫びながら、走り出します。

今、裁判を受けておられる主イエスは、

明日のご自分の姿をご存知なのでしょうか。

痛みを恐れてはおられないでしょうか。

私たちにはわかりません。

ただ、その死は、私たちのためだと知っています。

主よ、あなたの命の代わりに、私の命をお使いください。

そう、心から願うことができますように、

この時を共に祈りつつ、過ごしましょう。