呼吸のように・・・

俳句のエッセー

リサイクル

明日は、リサイクルごみの日。

こちらも、当番になっていましたので、

早起きして出かけなければなりません。

令和になり、平成の文字が、やけに古く感じます。

家人に言わせると、私は何でも捨てるのだそうで、

明日も張り切って、

あれも、これも、捨ててしまうつもりです。

迷ったら、「捨ててやる!」という勢いで、

あれもこれも「捨ててやる、捨ててやる」状態です。

 

昔の「味噌壺」でしょうか?

釉が流れている壺ですが、考古学をしていたので、

蓋の裏側に墨書があったりすると捨てられなくて、

持っていたのですが、捨てます。

昭和の遺物ですから、価値はありません。

仏さんのプリントが施された、大理石の玉二つ、捨てます。

炬燵も捨てます。古いパンダみたいな伊達眼鏡も捨てます。

LAディズニーで買ったミッキー、は捨てません。

これで、ちょっとは軽くなるでしょうか。

あとは、早起きするだけです。

おやすみなさい。

 

 

 

俳句推敲の巻

俳句をしていて、一番むなしくなるのは、

推敲して、推敲して、上手くできなかったときではないかと思う。

いわゆる勉強といわれている内容は、

本をがつがつ読んだり、獺祭状態でがんがん書いたり、

文字を積み重ねていく充実感があるのだが、俳句の推敲は、

うんうん唸って、同じ句をにらんで、

歳時記を開いては考え、また歳時記を開いては睨み、

その繰り返しで、形がまるで残らない。

それで、思った句にならなければ、

一日、何をしていたんだろうか…と虚しくなるのである。

俳句の推敲は、また、睡魔との戦いでもある。

目を瞑って、景色を思い出してみるが、

やがて場面は夢の中に移る。

よく、夢の中で「いい句ができた!」と飛び起きる方があるようだが、

見返すと、まず、よく分からない句であることが多い。

夢は夢、である。

今月は「晨」もあり、いつもの「雉」もあり、

来月は、若手作家近詠8句もある。

私、大恥をかくのではなかろうか。

不安で夜も眠れない。が、推敲中はよく眠れる。

世の中、思った通りに行かないのが常、ということか。

春の猫

浮かれて真夜中を鳴き歩く春の猫ですが、

野良猫が少なくなったせいか、あまり見かけなくなりました。

ただ、まったくいなくなったわけではないので、要注意です。

朝、ちょっとした隙に、ごみをあさる猫を発見。

あわてて追い払いますが、1メートルほど離れて、

未練たらしく見返る猫。太った灰色の猫です。

ごみ当番の私の仕事を増やす猫を、容赦しません。

最後は、足で地面を打ち鳴らして追い払いました。

やれやれ。

翌日、玄関を出て、おやと目を留めました。

我が家の腰板に、激しい爪の痕が付けられていました。

「さては、爪を研ぎやがったな!」

とは言いませんでしたが、昨日の猫の仕返しに違いありません。

なかなか賢い猫で、嫌がることを知っているようです。

が、人間の知恵を甘く見てはいけません。

腰板全面に、針金を立てて網をかけてしまいました。

風の強い日は…また、考えることにしましょう。

これで一安心です。

猫は好きなんですが、やっぱり許せません。

三月

今日から三月です。

風が冷たくて、春寒しという感じ…

では、ありません。

あたたかな春の陽気を思います。

暖かなのはいいのですが、この時期、花粉が飛んで困ります。

花粉症、既に症状が出ています。

マスクもありませんし、早めのお医者がお勧めです。

杉の枝枝がオレンジ色になっているのは、

ただただ恐怖……。

こんな時、田舎住まいは困るわけです。

皆様、うがい、手洗い、目洗い、励行しましょう。

二月尽

写真を撮りに、城跡へ行きました。
ここは、旧加賀藩のお城でしたが、
一国一城の令により廃されたお城です。
今は、観桜路が整備され、梅林も作られました。
梅は、紅梅。
ちりちりと立ち上る炎のように、真っ直ぐに、
谷の風を染めていました。
そこへ、
聞き覚えのある鳴き声が。
なんだっけ?ほーほけきょ?
口真似して気付きました。
鶯です。
なんと、初音ではありませんか。
まだ、ホー、ホキョ!
といった未熟な声でしたが、確かに鶯でした。
もう初音を聞いてしまった。
まだ二月だというのに。
せっかちな鶯の二月尽でした。