呼吸のように・・・

俳句のエッセー

地の塩なれ

災害級の暑さと伝えられています。
猛暑との終りの見えない戦いに、明日を思えば愁いばかりです。
身体から噴き出す汗も、いつしか塩の結晶となって肌に張り付いている
そのような状態に思えます。
日頃は、減塩を心がけていても、
この時ばかりは「しお飴」でも舐めようか、と思うほどです。

 勇気こそ地の塩なれや梅真白   中村 草田男

草田男の受洗名はヨハネ・マリア・ビアンネ。
聖人の名前です。
草田男は、死を目の前にして洗礼を受けました。
中世では、受洗は遅ければ遅いほどいいと、一般に考えられていたようで、
それは、人生の最後に自らの罪を赦していただき
天国へ行きたいという願いからだったようです。
洗礼を受けた後、罪を犯したら、その罪は赦されるのか、
その疑問から、受洗はできるだけ人生の終りにすべし、
そう考えたようです。
今、そのような考えはしないと思います。
私たちは、常に悔い改めなければならない存在であり、
それは受洗後も変わらないということ、そして
受洗の前後に関わらず、悔い改めによって赦しをえるということを
知っているからです。
人生の最後に、駆け込むように受洗した草田男の真意は何だったのか、
知る由はありません。
ただ、人生の最期に頼ったのは、
イエス・キリストによる血の贖いだった、
それだけは言えます。
草田男が最後に掴んだ救いの御手は、イエスの手でした。
これで天国へ行ける
草田男は思ったでしょうか……

「これで天国へ行ける」
この老いの言葉を、どう聞きますか。
神に造られた私たちは、日頃、神様から与えられた責任を担っています。
社会的に見て、大きいの小さいのと言うのが一般的ですが、
教会の奉仕に大小という価値観はなく、与えられたタラントによって神に奉仕をします。
老いのため、自分にできる奉仕はお金しかないから…
そう言って、大きなお金を教会に残した老いの言葉が
「これで天国へ行ける」でした。

貧乏な私には「自分にできることはお金しかない」という
境地に至ることは、まずないと思うので、想像が難しいのですが、
その方は、いわゆるお金持ちだったようです。
不動産や証券を処分し、いわば財産分与のように
教会に最後の奉仕をされました。
一方で、相続されるお子様がないわけではないので、
お子様方に対する以上に、教会に尽くされたその信仰に、胸を打たれます。
ご自分の死後も、主にあって兄弟姉妹という私たちの将来を思い、
未来の教会を担う者のために、愛を形に残されたのだと受け止めました。
しかし、人生は、そこで終わりませんでした。
人生の最期を何不自由なく過ごせるはずだった老人は、その信仰ゆえに、
ご自分の思い描いた姿とは、思い描いた場所とは、
恐らく、かなりかけ離れた様子で送ることになったように、私には見えます。
信仰ゆえ、善行ゆえの悲劇を、何度繰り返せばいいのでしょうか。
主よ、憐み給え。
主よ、救い給え。
心の叫びを聞き届けてくださいますように。

あなたは人生の最期を、どのように送りたいですか。
現実はどうであれ、主の愛に包まれていることを思いつつ、
希望をもって過ごしたいと思わないでしょうか。
人は弱いものです。
時には揺らぐ信仰を、私たちは支え合う自由をもっていないのでしょうか。
それは許されていいのではないでしょうか。
老いて病を得た者は、自分には価値がないと思いがちです。
決してそうでなくとも、見捨てられたと思いがちです。
この悲しみに、私たちは無力なのでしょうか。
 
 勇気こそ地の塩なれや梅真白

草田男の言った「勇気」とは、何だったのか、
あなたは知りたいと思いませんか。