呼吸のように・・・

俳句のエッセー

苜蓿(もくしゅく)

苜蓿や義肢のヒロシマ人憩ふ   沢木 欣一

(もくしゅくや ぎしのひろしまびと いこう)

 

季語「苜蓿」、春。

うまごやし、クローバーです。

昭和29年作。

終戦から9年、がむしゃらに走って来た人々も、

立ち止まって辺りを見渡す余裕が出てきた頃かもしれません。

しかし、広島をヒロシマとした表現に、

戦争の痛手を訴える思いを感じ取ります。

日本は急成長し、怒涛の勢いで生活は変化の一途をたどります。

しかし、それは社会の一部分にすぎません。

戦争の傷をその身に負った人々は、

戦時から時が止まったかのように、取り残されていたのではなかったでしょうか。

掲句に詠まれているヒロシマ人は、苜蓿に憩っています。

文字通り受け取れば、それは長閑な風景に、安寧なひと時でしょう。

しかし、そのように見えて、生き辛さを抱え込んだことには違いなく、

憩いは、しばらく、仕方なく腰かけたに過ぎなかった、

だけかもしれません。

被爆都市ヒロシマの引き摺る影を、

長閑な苜蓿の風景と共に詠みあげ、

一層、深く悲しみを伝えているようです。

あれから広島は、日本は、どう変わったのでしょうか。

来月、平成も終わりを迎えます。

しかし、忘れてはならないのは、

戦争で傷ついた人々、その壮絶な一生ではないでしょうか。

ただ、悲惨だったとか、過ちをおかしたとか、

そのような言葉で言い表すのではなくて、

その時代、そこに生きた人、一人一人の生きざまを

忘れてはならないのだと思います。

この義肢の広島の方は、もう居ないかもしれませんが、

その姿は、俳句の中に今も生き続け、

私たちに何かを雄弁に語り続けています。

その声を、聞き取ろうではありませんか。

 

見よや、十字架の

「見よや、十字架の旗高し・・・」

この讃美歌は、

「Onward,Christian Soldiers」

を翻訳したものです。

有名な讃美歌ですが、新しい讃美歌集「讃美歌21」には、収録されていません。

これは問題だ!

と言っていた牧師がありましたが、

私もそう思います。

大変、勇ましい歌で、

心の中で拳を振り上げて歌っていました。

気分は、すっかり、フレディ・マーキュリーでした。

もっとハイテンションで歌いたかったのですが、

花粉症で喉が良くないですし、マスクも邪魔をして、

声が出ず、大変、残念でした。

オンワード樫山」の会社名は、この歌から取ったそうです。

初代社長が、偶然耳にしたこの歌に感動して名付けたと伺いました。

誰もが感動する讃美歌です。

さて、

昨日の礼拝後、臨時長老会が開かれたようです。

何が話し合われたのか分かりませんが、

丹田に力を入れて、姿勢を正し、

気合をみなぎらせて、事に当たってほしいと願います。

問題は、まだまだ続きます。

勇め、主のつわもの!

いざ!

 

 

謝罪をうけました

昨日、牧師室にて話し合いの時を持ちました。

結論から申しまして、

長老会より謝罪を受けたことをご報告いたします。

ブログの問題について、長老会の対応が適切でなかったこと、

そもそも長老会が起因した問題だったことは、否定しきれないので、

それに対しての謝罪だと受け止めています。

ただ、具体的な拡散の経緯であるとか、

かかわった人については、明らかにして頂けませんでした。

一方で、話し合いたいという希望があるのであれば、

直接、話し合う機会を持てるように対応したいとも言われました。

ただし、長老会が仲介しての設定ではなく、

その段取りも、私たちがしなさい、と言い渡されました。

関係者が誰なのかも知らされないのに、

どうやって連絡するのか分かりませんが、

このように、もっともらしい、不可解な書記長老某の物言いには慣れていますので、

改めてその人となりを確認した、というところでしょうか。

つまりは、つまびらかにしないで終了したいと、

そのように解釈した次第です。

私たちは、過失であっても、

当該ブログが誰のブログなのか言いふらした人物、

また、コピーをしてばら撒いた人物には、

直接、謝罪していただきたいという希望はありましたし、

そのことを、お伝えしましたが、

それも、長老会から積極的に対応いただけることは無いようです。

こちらが強く要求すれば別かもしれませんが、

このまま黙って引き下がってほしいと言うのが

長老会の本音だと受け止めております。

とにかく、

長老会からは、一応、自分たちが悪かったと言う

謝罪をいただきました。

以上、ご報告いたします。

 

やれやれ、これで一つ終わりました。

では、次へ。

 

 

初めのころの愛

わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、

また、あなたが悪者どもに我慢できず、

自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、

彼らのうそを見抜いたことも知っている。

あなたはよく忍耐して、わたしの名のために我慢し、

疲れ果てることがなかった。

しかし、あなたに言うべきことがある。

あなたは初めのころの愛から離れてしまった。

だから、どこから落ちたかを思い出し、

悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。

ヨハネの黙示録2:2-5)

 

自分が信じた道を行くとき、数々の困難に出会います。

そんなとき、よく耐え、よく悪と戦っても、

気が付いたら愛を失っている自分に気付きます。

どこから落ちたのでしょうか。

悔い改めて、愛に立ち戻らねばなりません。

静かに落ち着いて、主の前に祈ります。

愛は、最も大切なものです。

その種がなければ、何の成長も実りもありません。

愛がすべての始まりであり、終わりです。

愛に立ち戻れますように。

その最も大切な愛を抱いて、

他者へお届けすることができますように、

祈り願います。