お鏡をひらきました。
お陰で餅三昧の日々です。
お鏡は、刃物で切ることを忌み、鎚で割ったりします。
「切る」という言葉も使いません。
「開く」と言います。
日本語の繊細な感性です。
紅白の餅は、直径20センチほどもあったでしょうか。
水に浸けられたものもありましたが、
今、残っているものは全て、冷凍庫の中です。
いつまでつづく、餅の日々。
お持ち大好き一家ですので、問題はありません。
上河原雄吉牧師、私はお会いしたことはありません。
が、お噂は良く耳にします。
とにかく有名な牧師で、教会の名前を知らなくても、
「ああ、上河原牧師の教会ね」と、
この辺りの方々は、牧師の名前は知っていたそうです。
子どもたちも、日曜日は教会へ行くのが楽しみで、
また、教会へは行くものだと思っていたらしい。
それは、さぞ素晴らしい説教に違いないのだろうと、
説教集はないのですかと尋ねると、それは無いのだと言います。
どうしてかというと、説教は上手くなかったそうです。
不思議な話です。
何を言っているのか分からなかった、これは皆が証言しています。
そこで唯一出版されたのが、『救いの岩』で、
これは回顧録ですが、読んでみると面白いことがたくさん書かれています。
「説教は下手だが、最後に『主にありて』と締めくくる、それが心に残った」
「非常に短気で、総会で、ある信徒の発言に激怒し、真っ赤な顔をして帰ろうとした」
人間味あふれる牧師だったようです。
牧師夫人のことも良く伺います。
誰にも話せないことも牧師夫人には話せたし、
良く覚えていてくれて、声をかけてくれた。
進路相談も聞いてくれたとか。あるいは、
クリスマスキャロルから帰ると、温かいぜんざいが作ってあったとか。
それが楽しみで、寒くてもキャロルに参加した子も多かったそうです。
複合的なものがあって、たくさんの信徒が生まれ、集ったのでしょう。
『救いの岩』は、金沢教会長老会から出版されています。
教会の図書館から借りて読んだので、今、手元になく、
詳細をお知らせできませんが、NET検索すればヒットすると思います。
『救いの岩』上河原雄吉 金沢教会
この単語で調べてみてください。
そして、是非、一度、手にしてみてください。
上河原牧師の魅力の秘密が書かれているはずです。
皆さまの証言によって、上河原牧師と出会ってください。
来週、兄が帰って来る。
参ったな。
いつも、居間にすべてを持ち込んで、あれこれ乱雑にしていますが、
これは、すべて撤去せねばなりません。
夏だったら、その辺に転がして
適当にしてもらえばいいのだが、
季節は冬です。
それまで、考えられるすべてを終えて、
スペースを空けて、時間を空けて、スタンバイせねばなりません。
東京生活が長いというだけではなく、
幼いころから面倒な性格で、いうことが細かくて困ります。
田舎と空間の感覚が違います。
一週間、長いな。
父が戻ってきたと思えばいいかもしれないです。
一週間、兄と共に、お仕事頑張ります。
機嫌の良し悪しも、仕事次第。
仲良くできますように。