呼吸のように・・・

俳句のエッセー

穴に落ちた羊

ちょっとした工作をしていて、

うっかりと、カッターで指を切ってしまいました。

勢いがあったらしく、傷は深いようで、

みるみる血が流れだして、止まりません。

しかし、幸いにも、痛みはそれほどではなく、

消毒して清潔を保ち、こまめに手入れをしたおかげで、

ほとんど良くなりました。

指先にバンドエイドを張ろうとしますが、

血が流れて往生しました。そんな時、

どなたかの助けがあれば、嬉しいと思います。

それは、だれでも同じでしょう。

安息日に羊が穴に落ちたとして、助けないことがあろうか・・・」

ユダヤ安息日は、働くことを禁止されています。

が、羊の命がかかっています。

羊を助けないはずはないでしょう。

そうイエスは言いました。

当たりまえに聞こえますが、ユダヤの律法主義社会は、

当たり前が、当たり前ではなかったのかもしれません。

もし、私のケガの手入れが、緊急性がないと判断され、

安息日を理由に、誰も助けてくれなかったら、どうしましょう。

悲しいですね。

穴に落ちた羊さんでも助けてもらえたのに、

と、恨みに思うかもしれません。

ユダヤ教を批判しているのではありません。

これは、単なるたとえです。

どうか、小さな親切を侮らないようにして、

いい社会を作っていこうではありませんか。

冷戦か開戦か

ある方の経験を記述させていただきました。

戦争経験が主でしたので、それなりに調べました。

近頃は、動画も検索できますので、

当時のフィルムや、テレビ番組の特集などを見て、

出来るだけ実体験に近い感覚を得ようと努めました。

そして、ちょっとだけ

大戦について、詳しくなりました。

それまでが、かなり無知でしたので、随分、成長したと思います。

話は違いますが、

今日、あるメールが届きました。

本来なら、私に、私だけに必要な内容でしたが、

送り主のM氏は、私を避けて、

N氏経由で、私に伝言させたわけです。

いよいよ、開戦ですか・・・

これまでの冷戦状態が、他人にも知れ、

他人を巻き込むまでに表面化したようです。

Nさんには、丁寧にお詫びを申し上げました。

なんですか、これは・・・

Mさん、立場もあることですし、

人様を巻き込むのは止めましょう。

あなたは「お仕事」なんですから、私とは違います。

もっと別の手段をお取りになるべきと、

私は思いますが、いかが・・・

 

一つのペルソナ

イエス・キリストは、神か人か。

この問いに対して公会議が出した結論は、

一つのペルソナに二つの性が宿る、

つまり、

エス様は、神であり、人であるということです。

人として従順を学ばれ、

汚れなき者として、

(神としてと言っていいのかどうか)

十字架に処せられました。

私と同じ人だったということ。

過酷な人生だったということ。

大きな使命と意味があったということ。

私たちも同じと思っていいのではないでしょうか。

使命を持っていると考え、

力強く生きていきましょう!

 

 

リーストコインについて

リーストコイン

それは、その国で、もっとも小さいお金を献金し、

世界に役立てようという教会の活動です。

日本では、一円玉、ということになります。

なぜ小さなお金かというと、

無理なく、喜んで献金できるように、ということだそうです。

1956年の秋、アジアの各地の教会を訪ねていた

インドのシャンティ・ソロモン夫人が、

世界の和解と平和のために祈り、

どんな人にも必ずできる献金の方法を考え、

「リーストコイン」を思いついたそうです。

誰もが無理なく、喜んでするリーストコインの活動は、

誰もが献金によって、誇ることもないということでしょう。

「やもめの献金」で知られる聖書の話のように、

金銭の価値は、人それぞれに違いますし、

神様は、たんなる金額ではなく、心を見て居られます。

例えば同じ1000円でも、大人なら小さくとも

子どもがお小遣いから納めれば、かなりの大金です。

リーストコインの活動は、

本当の意味での、心を問うものだと言えるかもしれません。

何を捧げるのか、どれだけ捧げるのか、

その思いを、神様は受け止めて下さるでしょう。

 

銭を磨く

よく思うことがあります。

きれいなお金を、あまり手にしないということ。

いつも、錆びたりくすんだりしたコインばかりです。

これが、ときどき、新しい10円玉など頂くと

かなり幸せな気分になります。

縁起がいいと思ったりします。

ならば、お金を定期的にきれいにするところがあっても

いいのではないか、と考えました。

銀行や何処かで集められた際に、クリーニングの機械にかけるとか、

粋な試みだと思いませんか。

お金を洗う神社が鎌倉にあるそうな。

行ったことはありませんが、有名な神社です。

身を清めてから、お金を洗い、

洗ったお金は、使った方がいいのかどうか、議論もあります。

確かに、その場に行き、その場の空気に

身もお金も清まるような、厳かな空間は

その後の人生に、幸運をもたらすように感じるかもしれません。

確かに、感謝してお金を使うことも、

生きざまを整えることも

お金の入りに影響するだろうとは思います。

が、精神論で、お金が入るとも思いません。

精神論で好転するなら、そもそも神社も要らないだろうと考えます。

ただ、きれいなコインは、使うのが勿体ないと思います。

銭は磨いて置けば、使わない=溜まる

効果はあるかもしれません、と思います。

・・・ささやかですが。