呼吸のように・・・

俳句のエッセー

炎天

日差しがじりじりと肌に刺さるようです。
サングラスがないと、まぶしくて居られません。
今、市議会議員の選挙期間中ですが、
35歳の某かという候補が、自転車で走り廻っていました。
若さをアピールしての自転車乗りのようです。
確かに、この炎天下、自転車に乗ろうという気持ちになるだけでも
若さを感じます。逞しさを感じます。
しかも、バッチリスーツを着込んでいました。
その後ろを、選挙カーがついていて、
「ただ今、○○候補が自転車に乗って、お願いに上がっております。
 有難うございます、有難うございます。」
というようなことを言いながら、ぴったりとついています。
そのアナウンスを聞きながら、鴉が三羽、アスファルトの上を
スキップしています。なぜか、
三羽とも口が開いています。
どうしてか、炎天の鴉は、いつも口が半開きになっており
何とも哀れです。
真っ黒な身体に口が開いていれば、誰でも暑さを思います。
炎天。
このイメージを画像にしたら、どうなるでしょう。
何を撮りますか。
このイメージを俳句にしたら、何を詠みますか。
感性が問われるところです。

鶏頭を三尺離れもの思ふ 綾子

 

鶏頭を三尺離れもの思ふ  細見 綾子

 

有名な鶏頭の俳句。

不思議な俳句です。

俳句らしくないところが、綾子俳句の魅力でしょう。

綾子は、このように、

物思いに耽っていたようです。

ある意味で

哲学的なこの俳句は、多くを読み手の想像にゆだねられているので、

印象的なのでしょう。

何を考えていたのか、想像にまかせられています。

結論のないこと、それが必須条件の俳句です。

結論を出さないことが、句に広がりを持たせます。

言い過ぎないこと。

それが俳句だと言えます。

神は愛なり

現在90歳の女性のお話です。
3歳のとき、近くの幼稚園へ入園したのですが、
その時に先生が教えて下さった聖書のお話がありました。
それが、「神は愛なり」だったそうです。
文語体で「神は愛なり」と聞かされた3歳の女の子は、
そのままを心に受け入れたのだそうです。
理屈ではなく、「分かった」とおっしゃっていました。
ですから、幼いからと言って、語るのをためらわず、
そのまま話して大丈夫、だとおっしゃいました。
そして、保育の仕事を何十年、その姿勢で貫いてこられました。
子どもには分かります。
真理が分かるのでしょう。
ごまかしも、子どもには通用しません。
子どもは、天才なのかもしれません。
今日は主日
「神は愛なり」を心に留める日です。
全ては「愛」という言葉に集約されます。
何を語っても、究極的なことは、「愛」。
愛があるかどうか、愛を感じるかどうか、
それが試金石となるでしょう。
難しいことはないというものです。
「神は愛」
それが全てでしょう。

御心が成りますように・・・

御心(神様のお心)が成りますように・・・
私たちは、いつもこのようにお祈りします。
ゲッセマネの園で、イエス・キリストが、血の汗を滴らせて祈った、
それを模倣しています。
エス様は、このように祈りました。
「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。
 しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
自分の願いは訴えますが、最後は父なる神の思いどおりになさってください。
このような思いです。
人には、様々な思いがあり、願いがあります。
ですが、神様のなさることが最も善き事だと、私たちは知っています。
ですから、最後は自分の思いを退けて、
父なる神様の思いに私たちは従う、という意思表示でしょう。
私たちには自由があります。
自由には、神様に従う自由、従わない自由があります。
私たちは、与えられている自由な意志により神様を選ぶ、
これが求められていることです。
世界情勢が不安定になっているように思う今日、
「政治家の思いではなく、あなたの御心がなりますように」
と祈る人がありますが、ちょっと違和感があります。
政治家にもキリスト者がいますし、
政治家といえば、皆私利私欲に動く悪人、ではありません。
そんなことを言えば、失礼にあたります。
政治家の方々が、御心を行うことができますように、
神様の助けと導きを願いたいと思います。
また、自衛隊といえば、皆戦争をしたがるもんだと
思っている方もあるようですが、これも間違いです。
戦争になれば、真っ先に出撃するのは自衛隊です。
戦争を避けるために、自衛隊は存在しているのであり、
自衛隊は戦争好きではありません。
この考えは、かつての大戦が、
軍部が先導したと考えられていることが影響しているのでしょう。
今では、もっと様々な要素が絡んでいたことが明らかになっており、
そのような単純な原因ではないと言われています。
明日は主日
戦争回避のための知恵を神様にお願いし、
災害の多いこの国を守り、導き、
神様のために、今、何を為すべきかを知り、
実行していく勇気を願おうではありませんか。

ブログとホームページ

Windows95が発売されたニュースを覚えています。
あれから数年後、私もパソコンを手にしました。
仕事では使わなかったので、必要に迫られたわけではありませんでした。
むしろ、そのことに焦りを感じ、教室へ通うことにし、
3か月程度、しっかり勉強したと思います。
そして、あれは2009年だったと思います。
それまで使っていたパソコンがダメになり、買い替えたとたん
姉が私のパソコンを使いはじめ、
眼を離すと、姉が独占していた、ということが続き、
面倒なので、「一台買ってきなさい」と勧めたわけです。
それから、姉はHPを作るまでになり、今ではすっかり頼っています。
それにしても、パソコンはどんどん進化して、
ネット環境も、みるみる変わって来ています。
それほど達者じゃなくても、人並みには使いたいと思うので、
それなりに頑張っている、というのが現状です。
ちょっと年上の方々に聞くと、
職場でPCが導入され、使えなくて退職した、
などと言う話をよく耳にします。
確かに大変ですね。
アウトレットではレジもPC、カード処理はもちろんのこと、
営業に来るゆうちょさんも、売薬さんも、
皆、タブレット持参で、会社とつながっています。
さて、こちらはブログですが、
先日、ホームページとブログの区別がついていない方がありました。
まだ60そこそこの現役の男性ですので、
先行きが心配になりました。
もちろん、ホームページとブログの区別がつかなくてもいいのですが、
その事実から鑑みて、大体のPC使いこなし度が分かるというもの。
実際、スマホメールは同じ文面しか打てず、
Facebookも知らないようです。
他人事で大きなお世話ですが、ちょっと勉強した方がいいと思いますよ。
私たちが引退する頃には、世界がWWWでつながるのが、当たり前になっていると思います。
その時に頭を悩ませなくていいように、ついて行こうというのが、本心です。
PCは大きな障碍に見えて、チャンスでもあります。
是非、便利に使いたいと願います。