呼吸のように・・・

俳句のエッセー

青麦

麦が育っています。
青麦は、若者のようにまっすぐに育っています。
麦畑は一面に広がって、その間を川が流れていました。
大きな声が響いてきましたが、姿が見えません。
ふと足元を見ると、橋の下に数名の測量士が声を掛け合って、
何かをしていました…
ゴムボートに乗り、あるいはメジャーを曳いて、何をしているのでしょう。
遠くに雉が鳴きます。
その、さらに向こうの山々は、
川の水のように、青々としていました。

かたかご

高岡万葉歴史館。
堅香子(かたかご)は、かたくりの花のこと。
観光案内にもあり、楽しみに出かけましたが、
ピークは過ぎていました。
残念でしたが、
まだ、咲いていてくれた堅香子の花を、
写真に収めてきました。
本当に高貴で可憐。
万葉の名に恥じません。

内灘

小説「内灘夫人」の内灘です。
内灘海岸へ、外乗へ出て行く一行が見えました。
サラブレットの細く、美しい足が、
海岸の砂を蹴ってゆきます。
草原も素敵ですが、海岸は格別と言います。
騎馬の快感を想像できるでしょう。
眺めているだけでも胸が躍ります。
サラブレットの足は、本当に美しいです。
その細さは、速く走るために交配させて
造り上げたものなのだと知りました。
速く走るためには、足は細くなければならないとは、
初めて知りました。
筋肉隆々、太い方が速そうですが、
違うらしいです。
馬は、癒しにもなるそうで、
触れ合い目的の方も多いと伺いました。
馬とふれあい、自然と触れ合い、言うことなしです。
身近なところにも、新しい発見があります。
知らないことが、まだまだたくさんあるのだと
知りました。

厩へ馬を曳いていくとき、
脚が軽やかなので注意してくださいとのこと。
人間と同じで、仕事に向かう足どりは、なんとなく重く、
帰りの足どりは軽いものだそうで、親近感をいだきました。
慣れない手つきで手綱をひく私に、
しかし、馬はちゃんと付き添ってきました。
指示されるとおり、ブースをぐるりと回って馬の頭を正面へ持ってきました。
私もほっとしましたが、馬もおとなしく、鞍を外されるのを待っています。
バケツにお水を張って、口へ持っていくと、
一生懸命飲んでいました。
大きな顔が、愛らしく感じます。
もう一杯。
人間でいえば60歳ぐらいだそうです。
よく見ると、御髪(鬣)に白いものが混じっていました。
見あげると、梁の上に燕が一羽、傍若無人にきょろきょろしています。
燕は、馬たちの頭上で自由にしているのですが、
馬たちは、まったく気にとめません。
燕は、この近くに巣をつくっているのでしょうか。
生き物たちの共存している姿に、
不思議に思う、人間の私でした。

馬に乗る!

馬に乗ってきました。
乗馬といいます。が、そんな立派なものではありません。
無料体験のチケットを頂いたので、行ってきました。
馬の背に乗って、高いとは思いませんでしたが、
結構、揺れますね。
「動物に乗ったことは、ありませんか。象とか…?」
そんな経験、ないでしょう、普通。
馬ではありませんが、昨年、ラクダを見ました。
乗りませんでしたが。
「そうですか、残念ですね。大型の動物は、近くには?」
あ、牛ならよく見ます。
近くに牧場がありますので…。が、乗ったことはありません。
「そうでしょうね」
インストラクターとお話ししながら、進みます。
上手く歩いて、止まったら、首を叩いて誉めてあげます。
「有難う」と感謝いっぱいで、首をそろそろ叩くと、
もっとしっかり叩かないとわかりませんよ、というので、
人間なら「痛い」くらいで叩いて、褒めてあげました。
ここが、マシンと違うところです。
いつもは車に乗っていますが、機械ですから、
大切にメンテナンスをしたり、洗ったりしても、
それは自分の物だからで、感謝ではありません。
良く走ったからと言って、褒めてあげることもありません。
当たり前のことです。が、馬は違います。
機械に慣れている時代だからこそ、馬に乗るべきだと思いました。
それは人間と同じ、生き物対生き物の、血の通った交流です。
不思議でした。
馬に気を遣って、何が楽しいのか、と思うかもしれません。
ですが、それは違います。
これが、人の本来あるべき姿のように思います。
若い方は、子供は、是非、乗馬をなさったらいいでしょう。
思いやりとは、このような関係から学ぶのだと思います。
いい経験になりました。