呼吸のように・・・

俳句のエッセー

愚かな者

これをなんとかしようとか、
思うことすら馬鹿馬鹿しいほど、
人は愚かで救い難い。
これを目にとめ、ましてや愛するなど、
神のほかにないだろう。
人間すら相手にしたくないほど、
人間はおぞましい。
放っておけば、
私たちは、殺しあって、
共倒れになるにちがいない。

レント

レント(受難節)最初の主日です。

是非、教会へ行きましょう。

「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、

 小麦のようにふるいにかけることを願って聞き入れられた。」

ヨブの時もそうでしたが、なぜ、主は、

サタンの申し出を受け入れられるのでしょう。

今も私たちは、ふるいにかけられるような思いを、

絶えずしています。

私たちは、しかし、イエス様に祈られて、

信仰に立ちつづけることができます。

サタンは、巧妙に、

最も弱いところを突いてきます。

僅かな隙間をついて、意外なところを探って、

私たちにゆさぶりをかけてきます。

些細な裂け口が、致命的なダメージに繋がることも無いとはいえません。

しかし、それらはサタンの仕業です。

神様の愛を信じているのに、疑いを投げかけてきます。

神を疑い、人を疑い、正しき道を行くことは損だと囁きます。

私たちは、弱い羊の群れです。

サタンの囁きに翻弄されることもありますが、

主が守ってくださっています。

その主のみを見上げて歩みます。

決して絶望しません。

いつも神様の姿を見ることができますように。

御言葉を心に刻み、知恵をいただき、

何が神の御心かをしっかりと見定め、

力強く行動していくことができますように、お祈りします。

私たちは弱く、神を恐れず人を恐れます。

神のみを畏れて生きることができますように。

主の教会を、どうぞお守りください。

御名により。

 

 

 

 

議論、再び

今日もやって来ました。

ものみの塔のお二人です。

どうしてもイエスは神ではないと言います。

三位一体の否定に全力を注いでおり、

「なんで、父なる神と言っているイエスが、神であるのか」

「神が二人、それ以上であろうはずがない」

ひたすら説得にあたります。

応戦するこの身は、

「イエスは神の子で、被造物ではない」

「イエスは神の子で、僕ではない」

と、おぼつかない理論の展開。

このような場面において、理解の浅さが露呈します。

次は、「目には目を、歯には歯を」を、

キリストの贖いに併せて説得に来るそうです。

アダムの罪は、アダムの罪の大きさだけで贖われるべきで、

御子(だと言われている)イエスの十字架は、

割りが合わない、ということのようです。

それなら、アダムが口にした果実を返したらいいのか、

どうやって、そんなことができるんだ、

と子供の喧嘩のようなことを考えます。

なんとなく、の理解度では論破できないので、

只今、仕方なく、猛勉強中!

手渡された資料を読み、真っ赤になるほどコメントを書き込みました。

今度、やって来たら渡す覚悟です。

これは、伝道魂のせめぎあい、

勝者はどちらか、神の御心を問う機会です。

どうぞ、お祈りください。