呼吸のように・・・

俳句のエッセー

救いの岩なれ

人とは、何と小さな存在でしょうか。

人生の意味を問うなど、愚かなことに思えます。

人の一生は、何と短く、

その功績は、世界の広さや時の流れの中に於いて

一体、どのような意味があるというのでしょう。

すべて小さなことです。

ただ、あるのは、

連綿とつづく神様の歴史のみ。

あるのは、ただ、神様の成し遂げたことのみです。

人の存在は、かくも小さなもの。

しかし、それでもわたしたちは、悲しい。

その人とかかわった時を、懐かしく、愛しく思う。

両親がいて、わたしが生まれた。

そして、成長し、結婚をし、子どもが生まれた。

家庭を育んだ。失敗をし、成功し、

多くを学んだ。

たとえ、人の一生が短く、意味がないとしても、

その人生は、確かに存在しました。

一粒の麦が地に落ちました。

ほんの小さな一粒の麦ですが、

その麦は、確かに、紛れもなく存在しました。

そして、小さくとも、わたしたちにとって掛け替えのない意味をもった

愛しい存在でした。

人は死に、その人を知る人も死に、

誰に覚えられることがなくても、その人は確かに存在し、

そして、神が覚えておられます。

日々のささやかなすべてを、神は記憶に留めてくださいます。

彼らは、神様のもとへ行きました。

私たちも、いずれ、神の許へ行きます。

虚しいと思う世も、

神様によって意味を成し、

虚しいと思う人の存在も、

神様によって価値あるものとされます。

救いの岩、それは、神の存在です。

私たちは、神により救われます。

神を知ること、

それがすべて、と聖書に書かれてあるのは

真実です。

万事を益として

「万事を益として共に働く主」

このように聖書には書かれています。

これは、様々に事が起こり、人は様々に動きますが、

最後には主が御働きになり、良い方向へ導いてくださる、

ということでしょうか。

確かに、正しいでしょうが、

このように書くと、誤解も多いように思えるのも事実。

 

人には自由意志があります。

その自由意志をどのように使うかが課題で、

悪いようにも、いいようにも使うことができる、

自由とはそのようなものです。

では、何を選べば「良いこと」なのか、

それは、「神様を選ぶこと」「神様の意思を選ぶこと」でしょう。

また、先日の説教では、

「神様の協働者になること」というようなお話でした。

神様は、全地全能の神様ですから、人が神様に何かできるかというと、

何もできません。つまり、

神様は人を必要としていないわけです。

にもかかわらず、

共に祈るように、傍らにいるようにおっしゃいます。

主の祈りしかり、ゲッセマネの祈りしかり、

人は眠りこけてしまうのに、その場へ連れて行かれます。

主は、共に働くことを望んでおられます。

そして、そのことに於いて、

神様と人間は結びついています。

祈らねば、神様と私たちは、何の関係もなくなります。

私たちが祈る前から、神様は、私たちの必要を知っておられます。

ならば、祈らなくてもいいのに、主は祈りを求められます。

祈らなくても、それは、成し遂げられるかもしれません。

しかし、神様と私たちは、その出来事に於いて、何の関係もなくなるでしょう。

神様は、私たちに共にいて欲しいと、

そのことを自由意志で、選び取ってほしいとおっしゃっています。

それは、祈ること。

主の約束を守ること、つまり、神様を愛する事、

それは、自分自身を愛し、同じように他人を愛する事。

愛するとは……行動する事。

神様は、万事を益として共に働いてくださいます。

神様の許で、協働者になることこそが、

私たち人間の為すべき業なのでしょう。

秋の夜長

あっという間に、秋らしくなってしまいました。

朝晩は、寒いくらいです。

日が段々と短くなってゆき、

日暮れが早いと、寂しい思いがします。

つい先日まで、猛暑に悩まされていたことなど、

信じられないほどです。

「夜長」となりました。

この長い夜を、秋らしく、創造的で、哲学的で、

楽しく過ごすのが理想でしょう。

しかし、なぜかぼんやりと疲れている私。

どうしてか考えてみると、

思い出しました。

苦手の英語を訓練していたのでした。

それで、いつも、なんとなく疲れているのでした。

虫が鳴くように、美しく、流暢ならばいいのですが、

秋の夜長を、呪いのように繰り返す

たどたどしいフレーズの数々は、

聞く者に恐怖を与えることでしょう。

大変でも、変わっていく自分を見るのは、

とても楽しいことです。

楽しいことは、良いことです。

 

鬼の居ぬ間

今日は鬼がいなかったので、洗濯をしました。

手洗いの約束を破り、ごしごし洗いをしたので、

ぼそぼそになってしまいました。

しょうがないので、ぼそぼそ部分が見えないように折り畳んでおきました。

果たして、

帰って来た鬼は、まだ気づいていません。

気付いたとき、どうなるでしょうか。

逃げるが勝ちです!

 

 

上京

姉が、明日、東京で恩師と会うそうです。

20年ぶりだそうで、それなりに緊張しているようです。

早くから荷物をまとめて、早々と休みました。

明日は長い一日です。

万全の態勢で、上京してほしいと思います。

股関節の手術をした姉ですので、

東京は大変な試練だと思います。

まだ、杖を持って歩いていますので、心配もないわけではありません。

先日、病院で定期健診を受け、順調だと確認しました。

病院では、序でに、と言いながら、

歯ブラシなど身の回りの品を揃えて来たようです。

大学病院は、便利なものが置いてありますので、

姉は、それらをまとめ買いして来たようです。

先程、洗面台を見ると、

派手な歯ブラシが、コップに挿してありました。

赤と黒コントラストです。歯ブラシの部分も

そのような色使いになっていました。

歯磨きが楽しみになるグッズでしょうが、

今夜は、これで、念入りに歯磨きしたのでしょうね。

何はともあれ、気持ちが前向きなのは、良いことです。

明日、気を付けて行って来てね。