聖書に書かれていることを「御言葉」と表現したりします。
御言葉とは、「神のことば」という意味です。
よく、キリスト者を指して、
「それでもクリスチャンか!」
という暴力的な言葉を吐く方があります。
そう言いたくなるのは、あるいは誰にでもあることです。
ただ、その場合に、
聖書にはこう書かれている。
あなたは、なぜ、これを行わないのか、と、
他人様を批判する材料にする方があります。
よくあります。
御言葉を他人様に対して適応させようという態度ですね。
これは明らかに間違っています。
御言葉の適応は、絶えず、
自分自身に対して行われるものでなければなりません。
「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」
と聖書に書いてあるから、という理由で、
殴りかかって来る人があれば、当然、抵抗致します。
自分の暴力のために御言葉を使い、利用しようとする人に言いたい。
御言葉は、あなたに適応されるべきものであると。
つまり、あなたが、右の頬を打たれたら左の頬を出すべきであって、
それを他人様に対して要求してはならないということです。
御言葉は、自身に対して語られていることであり、
人様を裁く道具ではない、ということです。
善悪の基準にはなり得ますが、
他人に対してのみ、適応されるものではないということを
よくよく理解しておかれるべきでしょう。
人は、罪人なのです。
そのための十字架であり、その十字架の救いを信じているのが
キリスト者です。
分かります?
やみくもに罪を赦すのがキリスト者、ではない、
ということですね。
覚悟した方がいいかもしれませんよ。