呼吸のように・・・

俳句のエッセー

責任

今では共学になりましたが、女子校だった当時、

そのミッションスクールに高校時代を過ごしました。

ミッションと今でも呼ばれています。

 

ミッション出身者は、学校が大好きで、

同窓だと分ると歓喜して、

「私も、私も」と言い合います。

私たちは、出身校を訪ねられると胸を張って、

「ミッションです」と答えるので、

私の父は、

「知らない人が聞いたら、どんな優秀な学校かと思うよ」

と言っていました。

つまり、そうではない、と言うことだったのでしょう。

今は、違いますよ。一昔前の話です。

高校三年生の、確か秋だったと思います。

朝の礼拝で、校長の井上良彦先生がお話されました。

「先日、ある生徒の処分について、嘆願書が提出されました。

そこには、3年生の全員と思われる名前が、

ほぼ全員と思われる名前が書かれていました。

その人たちは、このことについて、しっかりと理解しているのでしょうか。

理解したうえで、署名したのでしょうか。

教職員が時間をかけて話し合った結果を、覆すだけの説明ができるのでしょうか」

このようなお話でした。

言葉が刺さるようでした。

私も署名していました。

理由は、ただ熱心に署名してほしいと頼まれたからで、

その生徒が誰であるのかさえ知りませんでした。

疑問に思わなかったわけではありません。

署名の用紙を持ってきた生徒に対し、親しい他の生徒が、

「それを、きちんと皆にせつめいしてよ」と、言っていたのを覚えています。

しかし、結果として、何も知らないまま、嘆願書に署名をしました。

署名を集めていた生徒は、ただ熱心に、

「かわいそうなんです。何とかしてあげたいんです」というような、

同情をひく言葉ばかりを口にしていました。

校長はいいました。

「自分の名前に責任を持ちなさい。

ただ、お願いされたからと言って、よく分からないままに

大切な自分の名前を書いてはならない。

そういう行為が、やがて戦争につながるのです。

よく知りもしないで、賛同してはいけない。

ましてや、名前を書いたりしてはならない。」

このようなことをおっしゃいました。

その生徒は、職員会の決定通り、その後退学になりました。

いまだに、私は何があったのか知りません。

ただ、知っているのは、

私が、何も知らずに署名をしたということだけです。

戦時を生きていらした方の貴重な言葉が、ここにありました。

今では、戦争に対して、新たな事実もわかり、

日本人による自国の否定も改めるべきだと言う声も上がっています。

ただ、校長が言いたかったのは、

単純な戦争否定ではないということは、言うまでもありません。

私は、戦争を肯定するつもりも、もちろんありません。

ただ、流されるように、人に賛同してはならないということです。

自分が納得できる結論を出しなさいということでしょう。

そのためには、自分の意見を持たねばなりません。

自分の意見を持つためには、自身が調べ、学び、考えねばならないでしょう。

そのことを、高校3年の当時、学校の礼拝で知らされました。

私は、この学校で学んだことを誇りに思います。

そして、井上校長のことを、

学生には、あまり好かれてはいませんでしたが、

ご立派な牧師であったのだと思っています。