この有名な方は、誰もが知っている
フランシスコ会の創設者です。
とはいうものの、実は、それほど詳しくはないのです。
お名前だけは、という感じです。
ですが、受洗してからは、ちょっとした逸話を耳にするようになりました。
素晴らしい方ではないですか!
と驚いています。と言うのは、歴史学で学んだときは、
信仰的な切り口はしませんから、全然違った人物像を描いていました。
少なくとも私はそうでした。
たしか、イスラム圏へ伝道へ行っていらっしゃるはずです。
別に敵視されることもなく、また、改宗者を出すこともなく、
ただ、感心されて見られていた…というように学びました。
「一説には、殉教したかったのではないかといわれています」
などと、距離感のある説明を聞いた気がします。
それが、信仰を得てからは、夜通しの祈りの目撃情報など、
驚くべき証を知るに至り、
素晴らしい方ではないですか!
と、驚き、学び、あこがれる存在となりました。
つまり、事実とはこのようなもので、
切り口が変わると、見えてくるものが、全く違ってくる、と思います。
私は、一通りではありますが、
おそらく、信徒としての目でみると
違ったものに見えてくるのではないかと思います。
以前の私は、
と訳の分からないことを、普通に考えていました。
今は、違います。
面白いですね。
人は変わります。