しつこいようですが、昨日の続きを書かせていただきます。
私の名誉にかかわることですし、
おいそれとは引き下がることはできません。
ブログを読み返しました。
愚痴や批判めいたこともあったかもしれませんが、
「信仰の証」的な記事が、多くを占めていました。
我がことながら、客観的に見て、
この不測の事態に神を求めている姿勢が見てとれました。
このブログを以て、不信仰であり問題行動だと判断するとしたならば、
一体、誰が教会奉仕を担う資格があるというのでしょうか。
説教の看板を書くのに、どれだけの聖さが求められているのでしょうか。
このような愚痴の記述が問題ならば、
牧師は御言葉を語れず、オルガニストはオルガンを弾けず、
会報は書くことを許されず、日々、沈黙して悔い改めのみに
時を費やさねばならなくなるのではありませんか。
やはり理由が分かりません。
これは、再度、説明を求めてもいいと考えます。
私は、以下を許可します。
コピーをして、配付されても回覧されても結構です。
どうぞ、存分に吟味されてください。
そのうえで、叱責があれば、真摯に受け止めたいと考えます。
私はペンを執ります。
ペンは、百の鉄拳にまさると信じているからです。