歌碑のある一の宮の近くにある
折口信夫博士父子の墓。
一の宮へはよく出かけますが、お墓を訪ねたのは初めてです。
鬱蒼とした雰囲気ではなく、海に近いだけあり、
解放的な土地でした。
父子の墓とありますが、養子の洋春さんは、硫黄島にて戦死されています。
折口博士は、慶大でも教鞭を執っておられました。
信夫(しのぶ)という読みには、嫌な思い出があります。
御墓の前のきれいなお花は造花でして、
生花は、隣で枯れていました。
どちらもお供えされた方の思いが伝わり、
しみじみと眺めておりました。
「雉」主宰 田島先生情報によりますと、
「もつとも苦しきたたかひに
最もくるしみ死にたる むかしの陸軍中尉
折口春洋 ならびにその 父 信夫 の墓」
拡大して見ましたら、確かにそうでした。