呼吸のように・・・

俳句のエッセー

断片を生きる

「あなたは自分を肯定できるか」

     (『運命から摂理へ』佐藤敏夫1986)

 

しかし考えてみれば、人間の為すことは科学と同じようにこれは部分的断片的なものに過ぎないのであります。私どもがこの生涯に為すことが何ほどのこともないといたしましても、また、自分に与えられた才能が多かろうが少なかろうが、更にまた自分の生涯が長かろうが短かろうが、神様から与えられている力を尽くして精一杯断片を生きるということなのであります。神様はそれでいいと仰っているのです。神様がそれでいいと仰っているのに人間がとやかく言う必要はないのであります。神がこの自分の人生を肯定してくれるのでありますから、この神の大いなる肯定を受け要れることによって自分自身を受け要れるということ、それが信仰的な生き方であります。

 

おそらく、これが原典です。

こちらを引用して、『小さな物語』は書かれのだと確信します。見落としていましたが、ようやく発見しました。私は、書き直す必要があります。

やはり、信仰の根底にあったのは、あのフィリッピンの収容所での佐藤先生との出会いであり、医師として、キリスト者として敬愛しておられた、日野原重明先生の言葉だったのだと、それ以外なかったのだと改めて知りました。

ご自身の経験を神から与えられたこととして、神への揺るぎない信頼を抱き、その経験を証しつつ、信仰生活をあゆんでいらっしゃいました。

最期まで。

最期の時は、私には知る由もありませんが、目が見えず、耳も遠くなり、体の自由がなくなることは、いわば否応なくご自身を神から退けることとなり、

神は沈黙するその魂へ、御言葉を満たして下さったと信じます。

主に栄光あれ。

むなしさを祝福に変えて満たして下さる方。

私たちは、いと高き方の子どもです。