源平古戦場。倶利伽羅峠の戦い。
源義仲が、奇襲により平家軍を打ち破った戦いでした。
この古戦場の麓に育った私たちは、
いわゆる「紅白戦」という呼び名はなく、
すべてが「源平戦」と言っていました。
騎馬戦、競技歌留多など、
「源平に分れて」チームを組んだのでした。
「源平戦をやろう!」と言って、「陣取り合戦」をしたり。
大人になって、競技歌留多を、
「源平に分れて」と言わず、
「紅白に分かれて」と指示され、
初めて自分の育った環境を知ったのでした。
源氏が牛の角に松明を付けて、崖を降ったという逸話は、
中国の「火牛の計」による創作だという説が有力です。
しかし、歴史館には、よく電話がかかってきて、
「あの牛はどうなったのですか」と問われます。
「ステーキでしょう」と答えますが、その後で、
「火牛の計」のことも話されます。
倶利伽羅峠を目指しました。
埴生八幡宮には、鏑矢、兜など、その時奉納された、
義仲ゆかりの品が遺されています。
また、峠道の途中、一里塚と言われているところに、
近年、源平桃が植えられました。
紅白の咲分けの桃は、平家の紅旗、源氏の白旗が入り混じったように見えることから、
この名がつけられたと言います。
今、咲き分け桃、源平桃は、見頃を迎えています。
いつも圧倒的な美しさを湛えて、ひっそりと咲いています。
戦場には似合わない美しさが、胸を打ちます。
義仲の軍勢行きし名草の芽
緑立つ風の絶えざり一里塚
落日や源平桃の紅白に