いよいよ緊急事態宣言がなされました。
戦後最大の危機とも評され、これは戦争だともいわれています。
中国、武漢に初めて確認されたCOVID-19は、瞬く間に全世界に広まり、感染者数も死亡者数もうなぎ上りです。
アメリカの有名な学者は、SARSに似ているCOVID-19には、SRASと違う点が4点あると言っていました。遺伝子が単純なウイルスにしても、これらの変化が自然に起こるにしては、時間が短すぎるといい、おそらく人の手が加えられたのだろうと、状況証拠から推測(ほぼ断定)していました。
また、他のジャーナリストは、昨年末から、世界中からマスクが買い集められ、中国へ運ばれていたと言っていました。夥しい数のマスクが税関を通過した事実を確認したと、報告していました。
武漢の魚河岸か市場から広まったとされる、新型ウイルスの出所ですが、中国は本当のところを、これまで明らかにしてはいません。
今も、世界中の人々が死におびえています。
そして、いよいよ、中国からの亡命者により、上記の推測が事実だという証言が出されたと聞きました。
私は、COVID-19の憶測の記事について、事実関係を検証していませんし、また、ここにも詳しく書きませんし、報道されていることが事実かどうかと言っているのではありません。ましてや、中国を責め立てようと言っているのでもありません。そのことが事実であったとして、と言っています。
私はここで、問いたいと思います。
あなたは、それでも中国を許せますか。
このような問を投げかけるのは、身近に感染者がいないからだとか、きれいごとを言うクリスチャンだとか、反論されるかもしれませんが、私は単純に、
それでも中国を許せますか、と問うているだけです。
普段、平穏無事であれば、キリスト者はなんとでも言います。
「あなたに従います」「私は罪人です」「愛がありません」「弱いのです」
もっともらしい信仰のセリフです。
しかし、同じように、今、イエス・キリストに、
「赦しなさい」
と言われて、あなたは赦せるでしょうか。
「私があなた方を赦したように、あなたも赦しなさい」
そう諭されて、それで、あなたは赦せるでしょうか。
これは、キリスト者の実践的な問です。
罪を知らなければ、十字架の救いは理解できません。
私たちは、絶えず、これだけの緊張感をもって、自身に問い続ける必要があると、私は思います。
赦せない自分。
従えない自分を見つめ、そして、そこにこそ十字架が立つということ。
十字架の贖いの意味は、神の愛は、
自分の弱さの中のみに見出し得るものだからです。
これは、人をその限界にまで追い詰めるものです。
あなたは、それでも中国を赦せますか。
もうすぐ主のご受難の日、十字架に亡くなられた日です。
そして、次の日曜日は、イースター、復活祭です。
私たちの罪を負った主イエスは蘇られ、死にうち勝たれました。
私たちの「赦し」の根拠は、ここにあります。