呼吸のように・・・

俳句のエッセー

芭蕉の杖

本日、雉4月号が届きました。

「俳句燦々」も掲載されました。

どの句を鑑賞するか、ずいぶん迷いましたが、

この季節に合い、また、私の心に響いた作品をと、

この句にいたしました。

「俳句燦々」は、林徹 前主宰の作品一句と

現主宰 田島和生先生の一句とを、鑑賞するコーナーです。

私は、田島和生主宰『天つ白山』より一句を鑑賞いたしました。

ご紹介いたします!

 

くねくねと芭蕉の杖のうららけし   和生

 元禄七年(1694)十月十二日、松尾芭蕉は大阪に永眠した。五十一歳。

 「骸(から)は木曽塚に送るべし」との遺言により、義仲寺へ送られた。義仲寺は江戸中期まで、木曽塚・無名庵と呼ばれており、義仲の墓に柿の木があるだけの小さな寺だったという。芭蕉は義仲の墓の隣に、今も眠っている。

 義仲寺には、芭蕉が愛用した杖が遺されている。芭蕉の旺盛な創作意欲と旅を支えた杖は、実にか細く、くねくねと頼りなげである。そのことに意表を突かれた作者は、しばらく春の日差しの中に佇んでいた。事実とは、いつもこうである。さりげなく、何の変哲もない日常の一つにすぎない。「うららけし」の言葉は、緊張がほぐれた作者の心を表しているようである。

 「芭蕉の杖」は、芭蕉翁を身近な存在と変えたに違いない。

 

私が初めて義仲寺へ行き、芭蕉の杖を見たとき、

「これが、これが」と疑問の声を発したことを覚えています。

椿の木だとのことで、杖にするにはあまりに細くて、

くねくねしているのに驚いたのでした。

こんなものなのか…と心で呟きながら、

飽きずにその杖を眺めていました。

この俳句を読んだとき、そのときの思いが蘇りましたが、

言葉にするのは難しく、考え込んでしまいました。

俳句は結論がありませんから、

芸術は、みなそうですが、

自分が受けた印象、思いを述べるのは、かなり難儀でした。

「うららけし」の季語の裏にある、作者の芭蕉への思いを

どのように解釈して語ったらいいのか、

これでも悩んだのです。

そして、仕上がったときの喜びは、言うまでもありません。

その喜びが、今、ここに紹介するという

行為になって表れています。

思いが伝わりましたでしょうか。

芭蕉の杖を、見たことがない方は、是非、一度

義仲寺をお訪ねください。

月曜日は、資料館は休館ですからご注意いただき、

しばし芭蕉を偲ぶときをもっていただけたらと願います。