倶利伽羅の谷へ出掛けると、たくさんの桜に出会います。
桜は日を受けて立っていましたが、
風が強く、しきりに枝を揺らしていました。
五感を使うことは、この身に何かを受けることなので、
風に体温を奪われつつも、桜の幹に触れてみました。
冷たいかな、と思いつつ。
しかし、意外にも温かでした。
春ですね。
桜の芽はうっすらとふくらんで、霞のようです。
風の音がして、そのあと、めまいがしました。
いえ、そうではなく、
桜の幹が風に揺すられ、私の身体に揺れが伝わったのです。
桜が揺れている。
枝ではなく、幹が揺れている。
驚きつつ、また、ずっと桜に触れていました。
しかし、もう幹は揺らぎませんでした。
風が来て、強い風が来て、
枝が空を揺するように揺れても、幹は揺らぎませんでした。
木は強いものです。
枝は風を受け流して、大きく揺らぎ続けても、
幹はしっかりとそれを支え、微動だにしません。
木々の知恵を思いました。
いえ、木々に知恵があるのではなく、このように造られているのでしょう。
人知を超えた何かを感じませんか。
私たちは、桜より優れたものだと思いませんか。
桜より美しいものだと思いませんか。
たとえ、この木々より長く生きられない存在であっても、
私たちはもっと素晴らしい何かをたくさん持っています。
人も、そのように美しく、素晴らしいものとして
造られているのでしょう。