桃の花牛の蹴る水光りけり 沢木欣一
(もものはな うしのけるみず ひかりけり)
昭和18年作。
『沢木欣一集』栗田やすし編(2019)によると、
「入隊を間近に原子公平と遊んだ関西の旅の一句」
だそうです。
学徒出陣式は10月20日。
東京帝大在学中の欣一は、どのような思いで、
関西へ旅に出たのでしょうか。
桃の花の可憐な姿に、農耕の牛でしょうか、
水を蹴った、その水しぶきが、
ゆらりと閃光を放ったといいます。
春先の日差しに、揺らめき光りを返す水。
辺りには桃の花が咲く田舎の風景です。
美しい写生句のなかに、研ぎ澄まされた感性を思わずにいられません。
長閑で、平穏な今があるというのに、
これは、今だけの時間です。
将来を考えることの許されない時代の若者の、
痛いほど繊細な心が、この一瞬の光りを捉えました。
芸術は皮肉なもので、人の逆境にこそ、
卓抜した何かを生みだします。
戦争の暗い影に押し殺した青春の思いが、
光りを放ったかのような一句です。