あの出来事以来、最後の時を思います。
誰にも大切な終わりの時を、充実して過ごしたいし、
過ごさせてあげたい、そう思います。
華やかなショッピングモールに行って、
買い物を楽しむ若者を見ていて、楽しそうだと思います。
欲しいものを自由に買ったり、
美味しいものを食べたり、
映画や旅行へ出掛けたり、
考えると楽しくもなります。
けれども、あの言葉を思い出します。
「こんなはずだったかな、と」
「この歳になると、お金じゃないんです」
お金があっても、人は幸せにはなれないというのでしょう。
命があっても、満たされた人間関係がなければ
人は虚しく、悲しいということではなかったでしょうか。
そのような思いを、誰にもしてほしくはない、
そう願います。
自分も、したくないと思います。
けれども、私は覚悟しているのです。
望まない環境で過ごすことになるかもしれない。
ですが、その時も、
祈りを、讃美を、御言葉を、
心に満たしておきたいと願います。
感謝して眠りにつき、目覚めた時は
朝の光が全身を覆っているのだと思います。
復活の光です。
その方も、悲しいようで、希望に満ちた信仰に
最期を過ごされたと信じています。
私も同じようになりたいと願います。
最後まで主に用いられた神の子に幸いあれ。
すべてが用いられ、すべてに意味があると言います。
天の国は近づいています。
もろともに御許へ向かう時は、
神様の目には、もうすぐなのです。