呼吸のように・・・

俳句のエッセー

花と花粉

考古学には、たくさんの研究分野があり、

中でも、当時の自然環境の復元を試みる分野を、

環境考古学といいます。

 

当時の自然環境を復元し、古代人の土地利用を考察する、

これが環境考古学の目的です。

 

環境考古学にも、利用する自然遺物は様々ですが、

中でも花粉分析はとても有効です。

土中の花粉の種類と量を調べるものですが、

ここで、陥りやすい問題点が一つあります。

よく注意されていることです。

花粉は分かるが、花は知らない、という愚かさです。

確かに、花粉分析だから、花粉だけ知っていればできるわけですが、

最終的に当時の人間活動を考えるうえで、花を知らないというのは、

片手落ちになりやすいでしょう。

花は愛でるものでもあります。

勝手に咲いているだけでなく、人に好まれる色かたちであるとか、

あるいは香りなどは、繁殖に影響していないとは言い切れません。

機械的に花粉だけを分析すればいい、というのでは決してありません。

私たちは、花粉と共生しているのではなく、

花と共にあるのであり、

その心を知らずして、人は見えては来ません。

考古学は、過去の人間活動を解明するものであり、

自然環境の復元だけなら、自然科学の分野に任せておけばいいからです。

花を、花粉の情報からどれだけ説明されても、

具体的な姿が分からないだけではなく、

その良し悪しもの判断も、しようがありません。

花を知りたいと思う人に、十分に答えていないと言わざるをえません。

花を知りたい、木を知りたいというとき、

細部の葉っぱや花びら、ましてや花粉から説明することは、

愚かなことです。

それよりも、あなたがその花を見て、

どう感じたか、好きか嫌いか、という情報の方が、

遥かに役に立つはずです。

神様を証するのに、分析は必要ありません。

神様が私に何をしてくださったのか、

それで、私はどうなったのか、

それだけで十分だと思います。