「已後而死」
死して後已む(ししてのちやむ)
桂小五郎が、机に刻み込んだ文字です。
その気迫を思い、記憶に留めていました。
礼拝に於いて、祈りに於いて、
人は、その不信仰を思い知らされます。
神に頼り一途に生きてきても、
ときに主は、悪魔の酷い申し出をおゆるしになります。
人は苦しみ、ある者は死に至る、
何故、神は、このようなことをおゆるしになるのか、
この疑問は、抑えれば抑えるほど、強く意識の底に残ることでしょう。
助けてください、と祈ります。
しかし、助けなど来るはずがないと思っています。
救いも、愛も、奇跡も、望んでも与えられないと、
心は嘲笑しています。
神のたすけなどない、それが本音かもしれません。
救いはある、必ず来る、
そう思えば思うほど、心は離れていくようです。
祈りは戦い。
私たちの戦いは、命が途切れる時まで続きます。
罪との戦いは、悪との戦いは、
自分自身との戦いは、肉体を持つ間、ずっと続きます。
この世の営みから、人は逃れることはできません。
その間、絶えず変化し、巨大化する難題に晒され続けるのでしょう。
「死して後已む」
私たちの肉なる戦いは、死ぬまで続きます。
「已後而死」
いつか終わりが来ると思えば、戦えます。
主にあって、死は死ではないと思うからこそ戦える、
それがキリスト者の希望です。