呼吸のように・・・

俳句のエッセー

畑打つ

数年前に、市中を流れる大川に新しい橋が架けられ、
麦畑や民家の小さな畑の中を、大橋が渡るという景色になりました。
便利にはなりましたが、景観を損ねたかもしれません。
その大橋のたもとに、石碑が建てられています。
かつては畑の真ん中にあったものが、今では橋のたもと近くとなり、
否が応でも行く人々の視線を浴びることになりました。
古そうですが文字は読めます。
近づくと、思ったより大きな石碑で、戦没者の記念碑だと分かりました。
「三十八年」と読めるので不思議に思って見ると、
それは「明治三十八年」奉天戦での陸軍歩兵の戦没慰霊碑でした。
昭和に於いて、悲惨な太平洋戦争を経験した日本人にとって、
奉天戦の勝利の記憶など、ほとんど無いと言っていいでしょう。
しかし、ここには、その奉天での戦いに於いて戦死した
地元の方を悼んで、このように慰霊碑が今も聳えているのです。
私が慰霊碑を巡って、まじまじと眺めている間、
慰霊碑の辺りにある小さな畑には、一人の農夫がずっとしゃがんで
作業をしていました。
夕日が慰霊碑の正面を照らし、影が伸びてきます。
農夫はずっと俯いて、その小さな体は、
慰霊碑の影のなかに、すっかり入ってしまいました。
この慰霊碑は、大橋が架かる前までは、
この農夫の広大な畑の真ん中に建っていたのだろうと想像します。
そして、もしかすると、この農夫の先祖が、
この慰霊碑の方なのかもしれません。
畑打つ農夫に、その伝承があるのかどうかわかりません。
ただ、農夫は、慰霊碑の影の中で
黙々と畑を耕しているだけなのでした。