犬飼孝のCDをお貸しいただいて、聞いています。
聞くだけですので、歴史上の人物の名前など、
なかなか頭に入らず、苦労もあります。
が、分からないなりに、話が面白く、ひき込まれています。
とくに、歌が素晴らしい。
和歌というのは、やはり歌、つまりは「音」が大切だと分かりました。
私も真似て歌ってみましたが、これは内緒の姿です。
人様には見せられません。
この節回しが出来るようになればと、こっそり練習します。
さて、「和歌の写実」という言葉が出てきました。
聞き間違いでなければ、「和歌の写実」とおっしゃっています。
それは、事実ではない、「嘘」だとおっしゃいます。
心情を表すうえで有効な「事実」を詠みあげていて、
それは、全くの事実ではない、ということのようです。
抽象的な表現で申し訳ありません。
それが、似たようなことを聞いた覚えがあり、思い出していました。
先日、お亡くなりの大峯あきら先生。
哲学者であり、僧侶であり、俳人でした。
若い頃、高浜虚子に学ばれたそうで、
「花鳥諷詠は、写生にあらず」
このようなことだったと思います。
俳句の厳しい「写生」に学んできただけに、驚きの一文でした。
基本は、もちろん写生です。
その写生を踏まえたうえで、文学としての俳句の表現…
と理解しているわけですが、違うかもしれません。
もう、伺う機会がありません。
お父様を送られたご子息様は、もちろん僧侶であられます。
「父はお浄土へ帰りました」そうですが、
わたしが言えば、「天の国へ帰られた」となります。
余談でした。
いずれでもかまいません。
どうか、いつか再会する時まで、安らかに。
「晨」の皆様をお守りください…