明日は、今年最後の礼拝です。
今年もたくさんのことがありましたが、
特別なことが多かった一年でした。
教会とは何か、
考えさせられました。
また、同じ教会に集っていても、
人が変わればこれほど変わるのかとも思いました。
大戦を学び、未熟ながら、一つの考えを抱きました。
適材適所、この重要性についてです。
私は、東条は悪い人間ではなかったと思います。
ただ、首相の器ではなかったのではないかと考えます。
それによって、3000万もの日本人が命を落としました。
悪い人間かどうかという問題ではなく、
その時々の行動が、悪いかどうかだと思います。
完璧な人間などいないように、
心底悪い人間も、また、いません。
あるのは、適正に反した行動であるといえるでしょう。
それは、人の個性や得手不得手を考えて、
適材適所という概念から外れていた、ということだと考えました。
現代、社会も多様化が進み、生活もよくなり、
教育の環境も整っています。
環境もある程度選ぶことができます。
その中で、適材に配置されない、特に組織の上層部に位置する人たちは、
その結果、組織を大変な惨事に追い込むことになるやもしれません。
いえ、そうなるでしょう。
指揮官が誤れば、部隊は全滅です。
戦時の兵隊ではない私たちは、命令をうのみにするのではなく、
賢く人を見なければなりませんし、
自分を磨いていかねばならないでしょう。
すべての人が指揮官になる必要はありませんが、
おのおの、その持ち場に於いて、最高のパフォーマンスができるように、
自分を訓練していく必要があるでしょう。
そのうえで、適材適所、
本人も周囲も見極めていきましょう。
3000万もの日本人が死んだ大戦のようになってはならないと
思うのであります。