クリスマスおめでとうございます。
御子の誕生をお祝いし、主を賛美します。
この私の心に主はお生まれになりました。
しかし、わたしには分かりません。
私は、人を憎み、怒り、
神の言葉すら受け入れたくないと思う者だからです。
この世は理不尽です。
あなたの正義はどこにあるのでしょうか。
私はあなたを信じて生きていても、
人は私を蔑んで言います。
お前は何て惨めなんだ、貧しいんだ。
お前の神はどこにいるのかと。
私は惨めです。
惨めで、惨めで、あなたが見えなくなりました。
神の御子が誕生して、わたしに何があると言うのでしょうか。
そう呟く姿を目にします。
しかし、だからこそ、わたしは来たと言われます。
だからこそ、わたしが必要なのだろうと
主は言われます。
私は無知で、あなたのことがわからないと言うのに、
あなたは来られます。
主よ。
この世に起こること、起こっていること、起こったこと、
すべての意味を、私は知ることができません。
せめて、その意味が分かれば、
この私も救われると思うのですが、私にはわかりません。
知らされていません。
無知さゆえの絶望は、神様を知らない民の姿です。
私が、より深く、人と寄り添えるようになるために、
隠されていることがたくさんあります。
知らされないことがたくさんあります。
より人を深く愛するために、
隠されることもあるのでしょう。
そのように信じるのみです。
神の愛にあって、知らされないこともある、
そのことにも意味があるということを。
今日、救い主がお生まれになりました。
彼は、神を証します。愛を証します。
私を見た者は、神を見たのである。
愛を知った者は、愛して生きます。
主イエスを愛する喜びもまた、このクリスマスに訪れました。
愛されて生きるとは、愛して生きることです。
愛することは難しいと思います。
しかし、愛することを学ぶこと、
これが私たちの人生の意味の一つなのだと思います。