聖ペトロ。
あなたが、捕らえられたイエス様を裏切ったことは、
聖書にたくさん書かれていて、知っています。
裁判に引き出されたイエス様を、
あなたは三度、「そんな人は知らない」と言いました。
イエス様は振り向いて、あなたは大泣きしたと書かれています。
あなたは殺意に囲まれて、思わず保身に回ったのでしょう。
誰もあなたを責められません。
鶏が鳴いたとき、
あなたはイエス様の言ったことを思い出して、はっとしたと思います。
イエス様も同じように、はっとして振り向かれたのではなかったでしょうか。
そして、あなたを発見したのでしょう。
もしもわたしがイエス様だったら、という想像が許されるなら、
私は思います。
イエス様は、あなたを責めたりはなさらなかったでしょう。
ペテロ、来てくれたのか。
あなたが私を知らないと言わなくても、
わたしが、あなたを知らないと追い返したでしょう。
わたしは、そのあなたのために、喜んで十字架に渡されます。
イエス様は、このようにおっしゃったのではないでしょうか。
けれどペトロ、あなたはまっすぐな方です。
自分の弱さに耐えられなかったと思います。
大切なイエス様を死なせてしまったことは、どれほどの闇になったことか、
想像に難くありません。
私と違い、あなたは、十字架の意味を知らなかったのですから。
私も同じです。
大切な方を守ることができませんでした。
死の床から逃れようと縋って来られた方に、
必ずここから出してあげると約束したのに、
会うことすら叶いませんでした。
また温泉へ入り、辛いけれどもリハビリをしようと言ったのに、
孤独のまま死なせてしまいました。
ペトロ、復活されたイエス様は、あなたに三度尋ねられましたね。
ペトロ、わたしを愛するか。
あなたは、三度も尋ねられて、悲しくなり、
わたしがあなたを愛していることは、
あなたがよくご存知のはずです。
そう、言いましたね。
けれど、あなたは、一つだけ忘れている気がします。
その愛は、イエス様こそ、
あなたに気付いてもらいたかったことではなかったでしょうか。
ペトロ、わたしがあなたを愛していることは、
あなたが良く知っているはずです。
わたしが、この命を惜しまないほど、
あなたを愛していることを、あなたはよく知っているはずです。
イエス様の死によって、このわたしも救われました。
永遠の命をいただきました。
罪の赦しをいただきました。
だから、自分を赦し、自分の弱さを赦し、生きていけます。
死は、一時の通過点に過ぎません。
私たちは天の国で、再び会うことを約束されています。
それは、希望です。
いつか、天国への入り口で、あなたに会うとき、
私たちは笑顔でいられるでしょう。
私たちは、皆同じ、
イエス様によって救われた罪人です。