呼吸のように・・・

俳句のエッセー

穭の穂

今年は穭田が豊作です。
どういう意味かというと、穭の穂が実り、
稲田のように繁繁としているということです。
このような田舎に住み、穭田を見ると、
ふと大学を思い出します。
何故だか分からなかったのですが、
考古学を学んでいたので、遺跡を巡っていた
その時の感覚を、この田舎の風景が呼び覚ますのではないか
そのように思います。
私は、慶應義塾大学を通信教育課程にて卒業しました。
よくわからない人が多いと思いますが、
俳人のある方が、通信教育課程で大学院を修了されており、
私のことを話すと、すぐに理解してくださいました。
まず、卒業できないという事実です。
大学は通常4年ですが、まず、4年では卒業できません。
時間がかかると言う意味だけではなく、
実際、卒業率は5%でした。
これでも多くなったと言われていて、
私が入学した1995年(平成7)は3%でした。
卒業の保証のない中で、日々の生活を守りながら、
勉学を続けることは、かなりの根気を必要とします。
生半可な気持ちでは、まず卒業は無理です。
しかも、入学者の内訳は、
大卒30%、短大卒25%、高卒45%でした。
大卒(学士入学)、短大卒は、編入のかたちですから、
2年ないし3年で卒業となります。
それでも卒業できない人が、ほとんどです。
卒業へ至る人は、頭がいいとか、そういうことではありません。
私は、「執念です」と答えています。
短大の単位を継承し、卒業まで10年、
慶應義塾の通信教育課程の学生として在籍しましたが、
一度として、慶應義塾を我が校だと、心から思ったことはありませんでした。
通教生は、卒業の時、初めて我が校になります。
1単位でも不足して期限が切れれば、あるいは
もう止めた、と思った瞬間、全てが水泡に帰します。
履歴にも書けません。
この恐ろしさ、がけっぷちを歩むような感覚でした。
私は、何とか卒業に辿り着きました。
慶應義塾で学んだことは、わたしの誇りです。
ですが、それほど大したことではありません。
これも通過点に過ぎず、ゴールはまだ先にあるからです。
人として挑戦し、成長していけることを
心より願っています。