呼吸のように・・・

俳句のエッセー

艱難汝を玉にす

「艱難汝を玉にす」

いい言葉だと思いませんか。

言い得てしかりです。

人生、様々な困難に遭い、人は嘆きますが、

それがないと成長もありません。

恵まれた環境に生れ、多くの気遣いの中で、

その困難に立ち向かうことなく育った人も

稀にいます。

しかし、大人になり、晩年になり、

その人が幸せだとは、決して言えない、

むしろ、その逆であることが多いことを目にします。

我が子を育てるように、その人のことを本当に大切に思うなら、

別の方法を取るべきではなかったか、

そう考えさせられます。

聖書には、似たような言葉が書かれています。

「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」

    新約聖書 ローマ人への手紙一 5章

ただ、こちらは、

漠とした一般論を言っているのではなく、

主なる神、キリストの十字架による贖いの事実と、

それに応える意志を言っています。

この聖句の前には、このように書かれています。

「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、

 わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、

 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、

 神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。

 そればかりではなく、苦難をも誇りとします。

 わたしたちは知っているのです、」

苦難は忍耐を・・・と続きます。

そして、

「希望はわたしたちを欺くことはことがありません。

 わたしたちに与えられた聖霊によって、

 神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」

キリスト者の信じる希望は、神の愛を根拠にしています。

神の愛は決してわたしを、わたしたちを裏切らない、見捨てない、

だから、艱難をも希望とすると言っています。

神によって必ず報われる、

その約束を忘れず、雄々しく生きる、

その報いは、一時の艱難よりはるかに大きいと

主は言われます。

人類が得て来た教訓と重なりますが、

神の恩恵は想像以上であると約束されています。

主の御名は褒め称えられよ。

主は、まどろむことなく、

傍に居てくださいます。