先日の、大住 雄一 先生のセミナー、楽しかったですね。
歯に衣着せない物言いが、心地良かったです。
口が悪いように聞こえますが、細部には、
丁寧な言葉が使われていました。
決して、粗野ではなく、失礼でもなく、
細やかな配慮がうかがえました。
例えば、「なんでもかんでも神様のせいにするな」と言えば、
一方で、「お医者」と言ったり、
決して、乱暴ではありません。
それが、面白く、楽しく思えたのでしょう。
得ることはたくさんありましたが、一つには、
「仲間を大事にできるかどうか」とおっしゃいました。
仲間とは、御言葉を共有する仲間であり、
信徒たちのことだと受け止めました。
「決断の時、仲間と相談できるかどうか」
相談とは、信頼していないとできませんし、
胸襟を開かないといけません。
仲間と、そのような関係を築けるかどうか、
それも問われていると思いました。
仲間を大事にする、相談する、というはつまり、
「愛」があるかどうかをいうのであり、
愛があれば、細かなことを言わなくても
すべて網羅できるはずです。
愛をもって仲間と接すること、つまり、仲間を愛すること。
教会を愛すること、自分のように人を愛すること。
聖書に書かれていることです。
私たちは、御言葉を実践できるかどうか
問われているのでしょう。